サンダーバード研究家である伊藤秀明さんもヤマトファンであると知ったことで、パッと認識が広がってきた感があります。
つまり、ヤマトに関わる人たちはほとんど「外向き」であるということです。サンダーバードというれっきとした海外特撮を扱うという方向性が外向きです。
これに対立する概念は「内向き」ですが、この場合の内向きとは「日本の作品にこだわり、日本人の内輪の付き合いで小さく完結したがる傾向」を意味します。いや、もっと言えば、日本という枠組みすら大きすぎて、たとえば「オタク界」に小さく閉じこもりたがる傾向を意味します。
つまり、ヤマトと非ヤマトを分ける境界線はおそらくここにあります。
* | 向き | 行動 | 例 |
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ヤマト | 外向き | 行って戻る | 目的地の例はイスカンダル |
非ヤマト | 内向き | 戻って行く | 目的地の例は地球 |
内向きの例 §
もちろん外向きの例はヤマトですが、内向きの例は何でしょう?
やはりガ○ダムです。宇宙から母なる地球に降下し、再度宇宙に上がっていきます。未知の宇宙なるものは存在しません。既知の世界だけで話が進みます。
問題は向きだ §
さて。
ヤマトは「外向き」であり、「内向き」を指向する世界とは相容れません。従って、いわゆるオタク世界が「永遠に続く学園祭前日」という幻想にしがみつき、急速に内向きにしぼんで行くとヤマトは必然的に排斥されます。
また、外向きとは、右翼が持つ特性でもあります。拡張志向は外向きだからです。ただし、右翼は外向きであるということと、外向きは右翼であるということはイコールではありません。侵略者ではない冒険者や商人もやはり「外向き」の性向を持つからです。しかし、内向きの左翼が持つ「敵対者」の特徴が「外向き」である以上、外向きを指向する作品は右翼的であると叩かれ易いと言えます。
問題はその先です。
実は、「外向き」ということだけでは結束できません。
というのは、欧米という仮想上の理想郷を目指すには、大陸ルートと海洋ルートの2つが存在するからです。大陸ルートとは、関門海峡を渡り津島を通って朝鮮半島を通り、中国から中央アジアを経由して欧州に至ります。海洋ルートはともかく海に出て東に向かえば米国で、西に向かえば欧州です。
大陸ルートで理想郷に至るのは、たとえば西遊記であり、目的地は天竺です。海洋ルートで理想郷に至るのは、たとえば浦島太郎であり、目的地は竜宮城です。
ここで ヤマトが持つ問題は、当初のモチーフが西遊記であるにも関わらず、主役メカを大和をモデルというフネにしてしまった点です。つまり、フネを出すなら目的地は竜宮城であるはずだ、と自然に受け止めてしまった人たちも当然いるわけです。まして、目的地で待っているのは乙姫さまのように美しいスターシャという女性と設定されてしまっています。
従って、イスカンダルは天竺的な側面と、竜宮城的な側面を揺れ動きます。ありがたいお経=放射能除去装置をくれるだけのストイックな天竺的な対応と、熱烈に歓待する理想の竜宮城的な側面を往復してしまいます。その結果、放射能除去装置だけもらって帰るストイックさと、赤ん坊が1年で大人になる玉手箱的な時間超越の双方の要素が入り込んでしまいます。
作品が持つ方向性の問題 §
余談ですが。
日本から海外作品を見る視線は外向きですが、作品そのものが外向きであるかは別の問題です。
たとえば、内向きの例としてStar Trek: The Motion Pictureもサンプルとして出して良いと思います。なぜなら、これもまたカークがエンタープライズに戻ることから始まる話であり、エンタープライズそのものも、最後に宇宙に「行って」終わるわけです。話の内容も、既に過去のテレビシリーズで見たような話の練り直しです。
あるいは、スターウォーズも内向きでしょう。独自の設定で最初から最後まで固めて現実との接点を拒否します。
一方で、ハイパーウェポン2009でヤマトと並んで掲載されているギャラクティカも外向きです。帰る場所を失うところから始まるわけですから、行くしかありません。また、ゲリー・アンダーソンの特撮諸作品も外向きを示します。
従って、ヤマトは復活してもエンタープライズのように宇宙パトロールに従事して「彼らの任務は宇宙パトロール」と言われることはないし、父さんが仮面をかぶって出てくることもありません。しかし、ギャラクティカのように、移民船団を率いて飛んでいく展開は「あり」ということなのでしょう、たぶん。
だから、ハイパーウェポン2009でヤマトと一緒に掲載されるのがギャラクティカで、伊藤秀明さんのもう1つの肩書きがサンダーバード研究家であることも必然なのでしょう。(更に言えば、ゲリー・アンダーソン特撮が原点中の原点というおいらもな)
オマケ §
浦島は助けた亀に連れられて竜宮城に行ったわけですが。
ヤマトの場合、助けたサーシャは手遅れだったけど、サーシャが持ってきた設計図でイスカンダルにご招待と思えば構造が似ています。しかし、サーシャを助ける前に地球への支援の手が出ているわけで、これは浦島パターンではありません。
実際は、天竺にありがたいお経を取りに行く話です。