「ヤマトの劇場版(再編集版)を最初に見たときに驚いたのが、行こうヒューン、だったという話は前にしたと思う」
「サーシャの宇宙船を調べに行くときだね。もっと長い台詞があると思ったら、いきなり飛んでいった」
「これとは別に気になることがあった」
「というと?」
「ガミラスの本土決戦に勝ってついにイスカンダルというときの沖田の挨拶だ。いい加減な記憶で書き飛ばすぞ」
- TV: 本当にありがとう。以上だ。
- 映画: 本当にご苦労だった。以上だ。
「ここで、TVのときはこの挨拶は艦長としては低姿勢かもしれないと思った。それぐらい丁寧な言い方だった」
「うん」
「でも、映画の方は他人行儀だ」
「そうだね」
「今にして思えば、よく頑張った部下にありがとうと言うのは、心情として良く分かるのだが、そうすると映画版の方が堅すぎることになる」
「そうだね」
「でも、これはTV版と映画版が同じ作品ではない1つの現れではないかと思う」
「というと?」
「TV版は、多感な少年古代が紆余曲折で成長していく話なのだが、映画版は違う。古代は既に完成された乗組員として描写され、人間的な弱みを見せるようなシーンは全てカットされている」
「でも、同じフィルムなんだろ?」
「そうだ。再編集ものだからな。だからここに罠がある」
「どういうこと?」
「時間の都合でいいシーンがいっぱいカットされていると思うと、間違いだということだ」
「ええっ?」
「いいかい。フィルムは編集次第で全く違う表情を見せてくれるのだ」
「うん」
「だから素材は同じでも別の作品ができあがってしまうこともあり得る」
「そうか。あくまで古代の話がメインであったTV版に対して、映画版はヤマトの航海がメインになるのか」
「そうだ。だから、TV版では少年少女の成長がポイントになるのに対して、映画版は既に成長しているプロフェッショナル集団として描かれている。だから、彼らに対する言葉は、TVでは未熟な彼らが辛くて苦しい航海を乗り切ったお礼になるのだが、映画ではプロフェッショナルが自らの仕事を果たしたお礼になるのだ」
「なかなか奥が深いね」
「台詞1つにきりきり舞いさ」
「ってことは、いいシーンがいくつも切られているというかつての感想は……」
「間違いだったということになる。かつては、ぜひ入れるべきだと思ったエピソードが多く、たとえば七色星団よりもバラン星の方が良いのではないか、と思ったこともある。なにせ、長い間中間地点として重要な目標だったバラン星が丸ごとカットとは何事かと思ったこともある。個人的な趣味で言えば、第10話 さらば太陽圏!!銀河より愛をこめて!!は決戦よりもドラマとして重要だと思ったこともある。しかし、それはあくまで発想がTVだったのだ。映画の発想ではなかったのだ」
「なるほど」
「映画を作るとすれば、何もかも詰め込むことはできないから、成長する話にするか、地球を救う話にするか、選ばなくてはならないが、ヤマトは少なくとも地球を救わねばならない。ある意味で必然的な構成ということなのだ」
「そうか」
「それだけじゃないぞ。スターシァの話だけ後から復活するのも必然だ。なぜなら、この映画に成長物語が入る余地はないのだから、完成した大人としてのスターシャと守のラブロマンスしか入れようが無いわけだ」
「なるほど」
「しかし、この話が入ったおけで、映画に人の息吹が入ったとも言える。プロの仕事の枠組みを超えてしまう話だからね」