「ヤマトはほとんど単独行動だ。艦隊は組まない」
「一時的に組んでいる事例はいくらでもあるね」
「そうだ。ヤマト2では空母部隊と組んで行動したりする」
「なら、艦隊は組まないとまでは言えないね」
「でも最後は空母から離れて単独でバルゼー空母群にショックカノンを撃ちまくって突っ込んでしまう」
「うーむ」
「ヤマト完結編でも、駆逐艦は途中で引き返してしまうしね」
「復活編でやっと艦隊になった?」
「そうだけど、よく見るとそうでもない。実は、敵の3群に艦隊を2つに分けて、正面の敵はヤマト単独で防ごうとしている。最終決戦でも最後はヤマト単艦だ。他の艦はみんなやられている。最後の波動砲発射の際も単独だ」
「なるほど」
「戦艦なら艦隊を組んで当たり前であり、なぜここまで単独行動にこだわるのだろうか?」
「なぜだろう? 話を無意味に複雑にしないためかな?」
「実は、戦艦大和の亡霊という可能性に気づいた」
「ええっ?」
「戦艦大和というのは、いつも艦隊の中央にあって主役だった、と思うと艦隊として行動するのが妥当に思えるかもしれない」
「うん、一時は連合艦隊旗艦だろ? 艦隊を率いるのが当然のポジションだろ?」
「ところが、実戦経験というとそうでもなくなってくる」
「どういうことだい?」
「マリアナ、レイテ、沖縄特攻。実質的に大和が戦闘に参加した主要な事例はこの3つしかないだろう」
「それで?」
「マリアナでの大和は戦闘の主役とはいえない。航空戦だったからね」
「主役は日本側も空母だったということだね」
「レイテもあまりいいことがない。大和の主砲で駆逐艦が沈んだという話も怪しいらしい。しかも、作戦目標を貫徹せず謎の反転で戻ってしまう」
「そうすると、沖縄特攻しか残らないね」
「沖縄特攻の大和には僚艦がいない。護衛する艦はいても、仲間がいない。結果として対空戦闘に向いた輪形陣を組んでいるから艦隊に見えるが、本来の思想から言えば水雷戦隊と戦艦は別行動だろう。防空用の秋月型にまで魚雷発射管を積むぐらいだから、空襲の危険が去ればこれも別行動になるだろう」
「おいおい。それじゃ大和は単独行動ってことになるじゃないか」
「そうだ。ここがヤマトの原点じゃないかと思う」
「なるほど。駆逐艦が来てハイパー放射ミサイルから守ってくれるけど、すぐ生き残りも戻っちゃうのは、大和の故事から考えるとそれでいいのか」
「ハイパー放射ミサイル対策さえできれば、つまり空襲対策さえできれば、護衛の艦隊はヤマトあるいは大和に随伴する必要は無く、本来の自分の仕事に戻れたわけだ」
日本海軍の美学という問題 §
「実はそういう視点から考えると、大和の水上特攻は数こそ少ないが日本海軍の美学を体現した作戦ではないかという気もする」
「空母もない艦隊が美学?」
「空母は前衛なんだよ。主力艦隊ではなく。敵にダメージを与えて主力艦隊の決戦を有利にするための補助兵器」
「そうか」
「だから、主力艦隊とは最強の戦艦部隊なんだ」
「巡洋艦は?」
「重巡というのは、軍縮条約でやむなくできたジャンルであり、本来の美学の範囲にはない。美学としてあるのは水雷戦隊旗艦としての軽巡だろう」
「あれ、そうすると」
「日本海軍の最新鋭戦艦を中心に、日本海軍の最新鋭巡洋艦が駆逐艦を率いて護衛する布陣こそが、日本海軍的な理想の美学的な編成なんだろう。そこには、大和と矢作と駆逐艦群がいればよく、空母や重巡はむしろ不要だったとも言える」
「無い袖は振れないとも言うけどね」
「しかし、結果として美学は達成された」
「そうか。その美学の継承者としてヤマトがあるとすれば必然的にヤマトは艦隊を組まないことになるわけか」
「本当なら組む相手は同格の戦艦だが、それは既に全て沈んだ後という世界観なんだろう」
「じゃあ、ヤマト2で空母部隊を指揮するヤマトというのは何だろう」
「南雲艦隊に派遣された金剛型高速戦艦2隻のイメージかもしれない。スピードは速いがかなりのロートル戦艦ということだからね。そこが、アンドロメダと対比したヤマトの位置づけかもしれない」
「そうか、大改造を重ねてパワーアップしていても古いものね」
「更に言えば、イスカンダルの技術でやっとできたヤマトは、イギリス生まれの金剛と重なるのかもしれない」
「生粋の国産じゃないってことだね」
「ヤマトも真田さんがいろいろ手を入れまくって、イスカンダルの設計図とかなり違っているはずだ。おそらくもうかなり原型は残ってないのだが、それでもイスカンダルの波動エンジンのおかげという状況は最後までついてまわる」