「はたと気づいた」
「なにを?」
「メガゾーン23 PART IIってのは、主人公が出発する話なんだけど、壮絶な戦いが起こる割に戦いはゴールじゃない」
「時祭イブの通信に呼ばれて会いに行っただけなんだよね」
「だからさ、そこがヤマトと同じなんだ。ヤマトはガミラスを倒しに行ったわけではない。スターシャから放射能除去装置を受け取りに行ったのだ」
「なるほど」
「そう考えるとストーリーの骨格の類似性は他にもあるのだ」
「というと?」
「以下の流れを見てくれ」
- 前提としての敗北がある
- 負けて地下にこもる (地下都市/旧防衛庁地下)
- 謎の美女からメッセージを受け取る
- 謎の美女に会いに行く
- 壮絶な戦闘が発生するが主題ではない
- 主人公はラスボスを倒していない (結局生きてるデスラー/BD)
- 謎の美女の意外な正体
- 地球への帰還で幕を閉じる
- 地球の緑が印象的な結末
「ははは、どっちも同じだ」
「ちなみに、ヤマトで切り捨てられたクーデターという要素もメガゾーン23にはしっかりあるぞ」
「なるほど。BDはクーデターで政権を握ったものね」
「TRASHには通信担当のジェイスという男がいることも、ヤマトの相原に通じるかもね」
「そうか。通信のスペシャリストに見せ場があるのだね」
「他に崩壊する東京のイメージは、遊星爆弾で崩壊する地球のイメージと重なるしね」
「なるほど」
これが示唆するのは §
「このことが示唆するのは、実はヤマトの設定にはあまり意味がないってことだ」
「ヤマトは巨大都市型宇宙船じゃないし、バイクが変形するロボも出てこないけど、ストーリーは同じような骨格になるわけだね」
「ある意味で、メガゾーン23の方も巨大都市型宇宙船や変形バイク無しで話が成立するはずだという示唆でもある」
「じゃあ何が残るんだろう?」
「社会の問題を解決する群像劇という要素じゃないのかな」
「社会の問題と個人の問題の狭間で悩むとも言えるけどね」
「そういう意味では、恋愛と人類の未来の間で揺れるヒロインというのも似ているな」
「バイクの乗り方を学ぶ由唯と、最後に放射能除去装置を始動してしまう雪は似ているとも言えるしね」
「守られているだけの女はイヤだけど、でも気にするのは好きな男」
「実は由唯と雪も、音はyuiとyukiでそっくりだ」
ヤマトというカリスマの問題 §
「しかし、その後ということを考えると道は大きく違う」
「というと?」
「メガゾーン23PART IIIはもう別の監督の別の作品になってしまうが、今ひとつパッとしない」
「なぜだろう?」
「もう、未来都市も変形バイクもギミックとして必要無い世界に行ってしまったからだろう」
「必要無いのに出しても話が上手く盛り上がらないってことか」
「実はその点でヤマトとは違う」
「ヤマトはずっとヤマトが出続けているね」
「うん。だから、ここで示唆されているのは変形バイクとヤマトの差はどこにあるのかという問題だ」
「どこが違うの?」
「変形バイクと違って、ヤマトは前に出すぎないのが良いのではないかと思う」
「変形するとバイクは作品の顔になって、まるで主人公のように振る舞うがヤマトは違うってことだね」
「ヤマトは最後の最後まで道具なんだ。顔であり続けるのは人間なんだ」
「そうか。ヤマトは舞台セットの一部だから、ヤマトのセットでまた別の映画を撮れるけど」
「ロボは主演になってしまうので、ロボを入れ替えないと別の映画にできない」
「なるほど」
「しかも、ロボ不要という状況を示してしまったので、ロボの存在すら一貫しない続編は続編に見えないかもしれない」
「そこが大きな違いだね」
「だから、ヤマトは魂になれるわけだ」
「えっ?」
「変形バイクはキャラになるが、そこまで手前に出てこないヤマトは逆に魂になれるわけだ」
「キャラは作品の都合で作られるものだけど、魂は作品を縛る骨格になれるということだね」