【京帝たより100号記念縮刷版】の6pに【なくなる追分操車場 二十年の歴史に幕】という記事を発見しました。
場所は新宿伊勢丹前と書いてあります。
昭和28年の話とは言え、新宿伊勢丹前に京王バスの車庫があったとは信じがたい話です。
というわけで、位置を特定したいと思いました。
資料として使ったのは、新宿歴史博物館で販売している【新宿盛り場地図】です。これは昭和8年頃の新宿の詳細な地図です。建物1つ1つ記述されているので、バスの車庫があれば分かるはずです。昭和28年で20年の歴史があるなら、昭和8年にはもうあってもおかしくありません。
もう1つは、今昔マップ on the Webも援用しました。
さて、記事中の写真でバスの右側に見える建物が伊勢丹であろうと考えて調べてみましたが、見付かりません。というか、あるわけないです。伊勢丹所西側は都電の車庫です。東側は道を挟んで映画館街です。
まあ昔からホラは多いので、実際は伊勢丹前ではないと考えて探しましたが、見付かりません。バス関係と思われるのは、【自動車発着所甲州バス】だけです。
悩んだ挙げ句本文を読み直してビックリ。
【昭和七年、当時の甲州乗合自動車……】と書いてあるではありませんか。
つまり、昭和8年の時点では京王ではなく、甲州だったわけです。
だから、ここが昭和28年時点での追分操車場の場所で間違いありません。
写真の右側に見える建物は、帝都座なのか良く分かりません。少なくとも伊勢丹ではありません。
記事の記述から分かることは以下の通りです。
- 甲州から京王になった (途中で東急になった)
- ターンテーブルでバスの向きを変えていたが大型バスでは厳しかった
- 1日に千台以上扱っている
- 自動車部品の販売も行っていた
- 都市計画で消える
問題は具体的な場所です。
以下の場所と思われます。この当時は存在しない道路があるので、大伸第2ビルと南側の道路が追分操車場のあった場所と思われます。
この位置は、戦前の京王線の終点に近く、聖蹟桜ヶ丘に移転する前の京王本社の位置にも近いので、とても納得感があります。逆に、京王線の終点は昭和28年時点ではこのあたりにもうないので、あっさり引き払うことも納得できます。