毎日新聞のサイトに、こういう記事が載りました。
2ちゃんねる:
名誉棄損訴訟 勝訴後も脅迫数千件
https://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20030813k0000m040102000c.html
リンク先が消える可能性もありそうなので、記事内容を冒頭のみ引用すると、こんな感じです。
インターネット掲示板「2ちゃんねる」の管理人を相手取った名誉棄損訴訟で、6月に原告の女性プロ麻雀(マージャン)士、清水香織さん(30)が勝訴した直後、同掲示板に「殺す」などと脅迫的文言を数千件書き込まれる新たな被害を受けていたことが分かった。
その他、「清水さんが所属する麻雀店のホームページ(HP)上の掲示板にも同様の書き込みが10万件以上あり」というような記述がりまますが、本当に10万件の書き込みがシステム的に可能か?という疑問があったりもして、記事内容が完全に信用できるかどうかは今ひとつ確信は持てませんが。
ただ、名誉毀損で裁判をやって勝訴したにもかかわらず、被害が継続するような事態があるとすれば、それは大きな社会的な問題ということになるでしょう。たとえ、どんな嘘つきの大悪党が相手であろうと、私刑を行って良いということにはなりません。どうも、そのあたりの常識がぽっかり欠落している人達が、2ちゃんねるというフィールドを経由して社会に大きな影響を与え始めているような感じがあります。
おそらく、社会常識が欠落しているのは、2ちゃんねる利用者ごく一部でしょう。しかし、匿名掲示板というシステムが、そのような少数派の影響力を大きく発揮可能とするというシステム的な特徴は確かにあると思います。もう1つ、何か事があると、それにわっと殺到して盛り上げてしまう2ちゃんねるの体質も、問題を拡大する力として作用していることもあるかもしれません。本来なら、ブレーキを掛けるべきところで、ブレーキを掛けることができない、という傾向があるとすれば、それは2ちゃんねる利用者全体の体質的な問題と言えるかも知れません。
さて、ここで1つだけ確認しておく必要があるのは、2ちゃんねるにおける匿名性とは、パソコン通信の時代に言われた匿名性とイコールではないということです。パソコン通信時代の匿名性とは、本名とは違うハンドル名を名乗ることによって、現実のしがらみから離れたところでコミュニケーションできるということを意味します。たとえば、チャットで中年の男が悩みを打ち明けて相談していた相手が実は子供だった、というような話もあると聞きます。この世界の匿名性とは、本名が分からないということであって、継続して使用されるハンドル名による一種の仮想人格を使うものであったと言えます。これが、人間の違う面を引き出す面白い仕組み、文化であったことは、パソコン通信の匿名の世界にはまっていた人達ならほとんどの人が納得してくれるのではないかと思います。
それに対して、2ちゃんねるにおける匿名性というのは、完全に匿名の世界です。いくら、とんでもないことを書き散らして顰蹙を買ったとしても、同一人物を排除する手だてはないし、「またあいつか」と言われることもない世界です。(多少の例外はありますが)
パソコン通信の匿名性が、別仮想人格を演じる匿名性だとすると、2ちゃんねるの匿名性は、継続した人格性を放棄した匿名性だと言えます。別の言い方をすれば、読者から見た場合に書き手である自分と別の書き手である他人の境界が曖昧になる匿名性とも言えます。その結果、自分の書いたものに対する責任意識が希薄化しているような印象を受けます。パソコン通信の時代なら、変なことを書けば自分のハンドル名の印象を悪くするので、いくら匿名と言ってもあまり変なことは書けなかったと思います。しかし、2ちゃんねるなら何でも書けます。変なことを書いて2ちゃんねるコミュニティから追放されることもないし、何かあっても自分の責任が問われることもありません。(状況によっては、問われる場合もあり得そうですが)
そのようなことから考えると、2ちゃんねる型の匿名性を持ったシステムは、構造的に、この記事のような問題を発生させるリスクを常に持っていると言えるでしょう。そのような構造的な問題を放置しているという時点で、2ちゃんねるや、同様のシステムを持つコミュニケーションシステムは欠陥があると思います。たとえ、2ちゃんねる等に、どのような良い点があるとしても、それを差し引いてあまりある問題点だと思います。
もちろん、このような問題の責任をシステムにのみ求めるのは無理があって、本当は利用者さえきちんとした責任意識を持っていれば問題は起きないはずのことである、とも言えます。
この記事の最後の段落がとても良かったので、以下にそれを引用しておきます。
ルール自ら形成を 田島泰彦・上智大教授(メディア法)の話 ネットでの二次被害を現行法で防ぐのは限界があるが、だからといってネットを規制するような新法にも反対だ。ネットは市民個人が発信し、影響力を行使出来るのが利点であって、これを規制するのは表現の自由からも問題だ。だからこそ、利用者はルールを自ら形成しなくてはならないのに、現状はネットの匿名性に隠れ、やりたい放題となっている。利用者がその実態を直視しなければ、規制しか対抗手段はないと言える。
このような意味で、これは2ちゃんねる等の利用者の問題であると言えると同時に、法的規制が行われれば、2ちゃねらーではないこちらにもとばっちりが来るという意味で、他人事ではありません。