玉川上水跡の三鷹駅下流を少しずつ分けて歩いてきましたが、唯一残された新宿→四谷大木戸を歩いてきました。時間もないので、今はこれが精一杯。
東京南新宿ビルディング §
新宿から西に歩いたときの起点としたのが東京南新宿ビルディング前です。
今回は、ここを起点に東に歩きます。といっても、そのまま東には行けません。甲州街道沿いに迂回して歩きます。
新宿南口のJR線路西側のデッキ上から、このビルの裏側らしきものが見えます。
推定が正しければ、この位置の真下を玉川上水が流れていたことになります。(写真奥から手前に向かって流れていた)
複製古地図等によれば、玉川上水はJR(当時の鉄道院? 鉄道省? いや日本鉄道か?)の線路の下を通過していたようです。
男の鉄火場、ウィンズ前 §
推定が正しければ、甲州街道(国道20号)がJRの線路を越える高架の脇、男の鉄火場、ウィンズ前の道が玉川上水跡です。
下は、JRの新南口前から西の方(ウィンズのある方)を見た写真です。この道がここでいう道です。(脇の高架の道ではなく、正面の高架下の道)
ちなみに警備員はウィンズの警備員でした。
新宿御苑の脇へ §
そのまま道なりに進むと、途中で大きく曲がりくねりますが、新宿御苑に出ます。
このあたりまでは、おおむね道路に沿った位置が玉川上水跡と考えて良いと思います。
以下は、道なりに進むと正面に見える新宿御苑インフォメーションセンターです。
このセンターは、ちょっと歴史資料館っぽい雰囲気もありますが、内容はそういう感じではありません。新宿御苑の写真展をやっていました。座って休憩も出来るし、軽い食事も出来る喫茶コーナー的なものもあったようです(利用しなかったので、詳細不明)。
私の真似をして歩く人はいないと思いますが、途中で休憩する場所として良いと思います。
厳密な位置が見切れない…… §
実は、このあたりは正確な位置が見切れていません。
新宿御苑のルーツは江戸時代の内藤家の屋敷ですが、この時代の玉川上水は内藤屋敷との境界線となるものでした。(屋敷の「中」の施設ではない。境界線となる「外」を流れている)
しかし、現在は玉川上水そのものが埋め立てられており、埋め立てられた土地がどこに組み込まれたのかが良く分かりません。(調査すれば分かる可能性があるものの、私はそこまでできていない……という意味)
とりあえず、可能性としては以下のものがあります。(可能性の低いものも含めてあります)
- 新宿御苑北側の一般道路が玉川上水跡である
- 新宿御苑北側、有料区画外の散策路が玉川上水跡である
- 新宿御苑北側、有料区画内の境界に沿ったラインが玉川上水跡である
- 新宿御苑地下を通る新宿御苑トンネルの経路が玉川上水跡である
今日は、一応最もそれっぽいと感じられた有料区画外の散策路を歩きました。
ついに到達した終点 §
新宿御苑が尽きた後、そこから先は直進して歩けないので、脇に逸れねばなりません。新宿通を歩いて東に向かいます。
すると、横に大きな板碑が見えてきます。明治時代に作られた玉川上水開削の由来を記した記念碑です。それが置かれた施設は「四谷区民センター」ですが、東京都水道局新宿営業所という施設も入っているようなので、玉川上水との関連が推測されます。
ここには、四谷大木戸跡碑もあります。
しかし、この場所は実際の玉川上水の終点ではなく、終点はそこから更に東に80メートル行った四谷四丁目交差点だそうです。
というわけで、そこが玉川上水の終点、四谷大木戸跡ということになります。
ただし、ここで終わるのはあくまで開渠であって、この先は暗渠として江戸各地に水が送られていたわけです。この近くにある新宿歴史博物館などに行くと、当時地下に埋められていた水道が展示されていて、見ることができます。
これにて三鷹駅以南は全て終了! §
ふう。
やっと玉川上水の三鷹駅以南を全て歩き切ったことになります。
ちなみにそのあと、やや北に歩いたところにあるステーキハウス鉄板牧場新宿店という安い店で、中でも安いメニューのチキンステーキを食べましたが、このあたりを歩くのは非常に新鮮でドキドキする感じでしたね。このあたりは、いわば立ち寄ることがなかった真空地帯です。周囲は行ったことのある場所ばかりなのに、未知の静かな場所があるわけですから。
その後は、都営新宿線新宿三丁目駅まで歩いて帰ってきました。