この「下高井戸周辺史雑記」というキーワードで、延々と新宿十二社の話を続けていたので、一度はっきりさせておく必要があるので書きます。
ここで扱う「下高井戸周辺史」の「周辺」の範囲はどこまで含まれるのでしょうか?
最もシンプルな定義 §
「下高井戸周辺史」で扱う話題の範囲は、最もシンプルには以下のように定義されます。
- 一般の他の地域と比較して下高井戸に対して特に影響を持つ地域について話題
- 上記の話題から派生した話題
2番目の定義は極めて万能であり、派生してしてしまえば何でもありということになります。しかし、新宿十二社を扱ったのは1番目の定義によってです。
これをもっとかみ砕いて説明します。
1番目の定義のより具体的な再定義 §
- 下高井戸または下高井戸の地理的近傍を経由する道路、水路、鉄道等の到達範囲
- それらと深い関係のある道路、水路、鉄道等の到達範囲
より具体的に説明します。
「下高井戸を経由する道路、水路、鉄道」というカテゴリには、以下のようなものが当てはまります。
「下高井戸の地理的近傍を経由する道路、水路、鉄道」というカテゴリには、以下のようなものが当てはまります。
- 青梅街道
- 井の頭通り
- 環状七号線
- 環状八号線
- 善福寺川
- 京王電鉄井の頭線
- 東急世田谷線
- 等々
これらは、下高井戸を通過している箇所のみに注目するというわけではありません。部分だけ見ても分からないことがあるので、必要に応じてそれ全体を見なければなりません。たとえば、玉川上水は羽村から四谷大木戸/淀橋浄水場まで全体を見る必要があります。このような意味での「全体」は下高井戸周辺史で扱う範疇になります。
しかし、話はまだ終わりません。
もう1つ「それらと深い関係のある道路、水路、鉄道等の到達範囲」というカテゴリが存在するからです。たとえば、玉川上水に着目する場合、どうしても水源となる多摩川への関わりが発生します。逆に、四谷大木戸以降の江戸市中の水道網も視野に入ります。また、JR中央線も京王線のライバル路線として京王線のあり方に強い影響を持ちます。下高井戸の近傍を通過していないにも関わらず、これらは下高井戸という土地を見るにあたって避けて通れないのです。
結果として名古屋は下高井戸「周辺」となった (笑) §
さて、この文章を書く直接的な動機は、青梅街道と甲州街道の比較を考えながら地図を辿っているうちに、山梨、長野を経由して愛知県(名古屋)にまで達してしまったからです。
つまり、下高井戸を語るために甲府や諏訪の地名を出すことは避けられない状況になり、場合によっては名古屋の名前まで出す可能性すらあり得る状況になった……ということです。
これは、江戸幕府の長距離交通を担う五街道の宿場町としての下高井戸という位置づけからすれば必然的なことです。しかし、そのような認識に意外性があるのも事実です。