2008年04月17日
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オタクの常識である「データベース」解釈が決定的に古く誤っていることを明示的に示すネギまの秀逸性!!

Written By: 川俣 晶連絡先

 この文章では以下のような内容を書きます。

  • オタクの世界には決定的に相容れないほど深い谷間で隔てられた2つの方法論が存在する
  • その1つは、データベース解釈である
  • これに対立する解釈を、ここでは外部参照解釈と名付ける
  • オタクの主流はデータベース解釈である
  • ネギま!は外部参照解釈である
  • 実は広義のオタク、あるいは社会全般では外部参照解釈の方が主流
  • データベース解釈の欠陥はネギま!自身が指摘している
  • いやー、ネギま!って素晴らしいものですね!
  • 補遺・足し算解釈とかけ算解釈

前置き §

 この文章は、ネギま!22巻を読み終わったから書くのではなく、いくつかの別の本を読み終わったことで書くものです。

 まず、東浩紀の『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』を読み、続編となる『ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2』を読み始めてライノベが主テーマと気付いて興味が持続できずに放棄し、そのあとで大塚英志の『キャラクターメーカー―6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」』を読み終えた、というタイミングで書くものです。

 ちなみに『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』を読み終わって時点で、既に「ネギま!はオタクの常識に喧嘩を売るか? 「動物化するポストモダン」とネギま!」という文章を書いています。これに隣接する話題といえます。

オタク世界の決定的亀裂 §

 おそらく、オタクの世界には決定的に相容れないほど深い谷間で隔てられた2つの方法論が存在すると思います。

 1つは『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』が示すデータベース化という方法論です。

 ここでいうデータベース化とは、以下のようなモデルを意味します。(と私は受け止めています)

  • 個人は誰もが自分の「知識の集積体」を自分の中に持つ
  • これをデータベースと呼ぶ
  • データベースは1人につき1つである
  • データベースは個人が自分で見たものを整理、分類することで成立する
  • 何かが到来した場合、自分のデータベースを参照することで瞬間的にリアクションを起こすことができる (じっくり考えずにリアクションが発動できる/発動されるという意味で、動物的と表現される)
  • 新しい何かを見るごとに、データベースは新しい何かを包含する形で再構築され、常に最新状態にアップデートされている
  • ある程度の水準のデータが整理、分類、蓄積されると未知の問題を判断できるだけの汎用性を獲得する

 つまり、データベースとは状況の変化に適応できる動的な情報評価システムということができます。

 特に変化する柔軟性を持っている点が、硬直的で変化することがない知の体系に対する優位を示します。それは、変化しない体系よりも適応力が高く、強いのです。

 また、未知の問題に対する対応力を持つという点で、非常に使いやすいと言えます。様々な知識を広範囲に学ぶ手間を費やすことなく、たった1つのデータベースで汎用的に対処できるわけです。

 これらをまとめると、以下の特徴が抽出されます。

  • 1つである
  • 自動更新される
  • 万能性がある

データベースに対立する「外部参照」 §

 データベースに対立する概念とは、解釈やリアクションの根拠をデータベース以外の何かに依存するものです。データベースは、全てのリアクションがデータベース「内部」に依存するのに対して、対立する概念は「外部」に依存するという点で、これを「外部参照」と呼ぶことにします。

 外部参照の特徴は以下のようになります。

  • 個人は自分の外部に存在する知識の所在を知っている
  • 知識の所在に関する情報を「外部参照」と呼ぶ
  • 外部参照は1人がいくつでも持つことができる
  • 個別の外部参照はそれぞれが相矛盾する情報を含むことがあり、たった1つに統合することはできない
  • 外部の情報は変化する場合があるが、変化する前と後の情報を別個のものとして扱うことができる
  • 何かが到来した場合、それに対してどのようなリアクションを起こすべきかは、外部参照を参照しつつ検討した上で決定されねばならない。つまり、瞬間的なリアクションを起こすことはできない
  • 新しい何かを見たとき、「外部参照」は単純に追加される。過去の外部参照を書き換えるわけではない
  • 外部参照が増えれば増えるほど、自分がまだ参照していない情報の大きさがより的確に把握できるようになるので、未知の問題を判断できなくなる

 これらをまとめると、以下の特徴が抽出されます。

  • 複数であり、1つに統合できない
  • 新しい情報は古い情報を上書きせず、追加される
  • 万能性は無い

データベースと外部参照の比較 §

 データベースと外部参照のどちらが有効でしょうか。

 上記の特徴を比較すると、データベースが持つ万能性は強い魅力です。何しろ未知の問題に対してすら、瞬間的にリアクションを起こすことができます。これと同じことを、外部参照では実現できません。

 つまり、データベースを採用すれば、家に閉じこもってモニタばかり見ていても、あらゆる何かに対してリアクションを瞬間的に起こすことができる万能性を獲得できるわけです。家の外に出る必要すらありません。実際に歩く必要もないし、手を動かす必要もありません。まさに最強です。その結果として、データベースという方法論を自らの行動原理としてマスターした者は、他の方法論に移行したいとは思わないでしょう。他の方法論は、より多くの労力、痛みを伴いながら、万能性において劣るのです。

 オタクにおける主流がデータベースとなるのは、当然の成り行きでしょう。また、データベースを採用しない者達がバカに見えるのも当然の成り行きでしょう。

データベース解釈がもたらすもの §

 データベースによる解釈は、キャラクターを属性に分解して再構成することを可能にします。無数の属性の組み合わせを変えることで、いくらでも新しいキャラクターを生み出すことができます。

 また、キャラクターそのものがデータベースの要素になるため、キャラクターを作品そのものから切り離し、単独で利用することが可能になります。たとえば、既存作品のキャラクターだけを取り出し、自作の全く別個の作品で活躍させることも容易に実現できます。いわゆる学園エヴァであるとか、いわゆるSSと呼ばれる作品の多くがこれにあたります。

 このような状況は作品の構築方法に決定的な変化をもたらします。つまり、まずキャラクターを生み出し、それを活躍させる作品世界やストーリーを作るという方法論が主流になります。そして、作品世界やストーリーはキャラクターから見れば交換可能な存在になるのです。

ネギま!は外部参照解釈である §

 しかし、ネギま!は明らかにデータベース解釈ではなく、外部参照解釈によって作られた作品です。

 「データベースは個人が自分で見たものを整理、分類することで成立する」と書きましたが、ネギま!という作品は作中で明示的、あるいは暗黙的に示される多数の外部参照があるため、ネギま!を見るだけでは構成を要素を整理分類できません。また、暗黙的な外部参照を解決するには、それが外部参照であることを読み取るスキルが求められますが、それもまた外部からしか得られません。更に、あえて伏せられた参照もあると思われますので、いかにスキルを揃えても未完の段階では構成要素を整理分類できません。

 これは、主にオタク向けの特に「萌え系」のアニメやライノベ等の作品とは決定的に異なっているように見えます。これらの作品は、オタクが持つデータベースだけで解釈できるように配慮して作られており、作品の構成そのものもデータベース的です。

 このような状況は、ネギま!が主流のオタクを読者層として取りこぼす可能性を示します。はたして、ネギま!とはオタクにアピールすることに失敗した作品なのでしょうか?

データベース解釈の欠陥はネギま!自身が指摘している §

 データベースには以下の特徴があると示しました。

  • 1つである
  • 自動更新される
  • 万能性がある

 実は、この特徴はネギま!において夕映が持つアーティファクト「世界図絵(オルビス・センスアリウム・ピクトゥス)」と完全に重なります。

 これは魔法に関する百科事典であり、この1冊(「1つである」)にあらゆる情報(「万能性がある」)が網羅され、しかも『まほネット』を経由して「自動更新」されます。

 このように考えれば、ネギま!という作品が、データベースというモデルの強力さを理解しているはずだと思えるかもしれません。

 しかし、そうではないのです。

 なぜかといえば、「世界図絵」には重大な欠陥があると解説されているからです。

 16巻には1ページに渡って「世界図絵」の解説が書かれています。

 ここでは、使用者に要求される資質と重大な欠陥についても記されています。

 まず、使用者に要求される資質です。

関係項目のリンクを辿っていくと、必然的に高度な知識に到達するようになっているが、そのためには、やはり関係項目の中でも、基礎的な知識を押さえておかねばならず、このアーティファクトを使いこなすためには、本の読み方そのものを心得ていなければならない。

 つまり、地道な基礎トレーニングが必要ということです。努力せずに大きな成果は得られないわけです。

 次に重大な欠陥については以下のように記されています。

それは、まほネットとのネットワーキングによって、収録されている情報が更新され上書きされてしまうということである。

 更に、このような更新型のモデルは実は古いことが示されます。

これは、テクストの異同を明記し新しい写本や注釈のみに依拠することはないとする、十九世紀の古典文献学以来の方法論と全く異なる。『世界図絵』は、古書籍を重要視する近代の発想から作られたものではなく、前近代的な文字文化に基づいて作られた動的エクリチュールなのである。

 つまり、『世界図絵』は「ポストモダンという新時代の必然的な潮流を反映した新しいもの」ではなく、前近代的な古いモデルによって作られたものでしかないわけです。たとえば、自動更新と呼ぶとあたかも「新しく」「優秀」であるような印象を与えられますが、そうではないわけです。

 いつ誰がどう書き換えたのかも明確ではないようなデータベースあるいは百科事典など、絶対的な根拠として依存することはできません。(ちなみにWikiPediaは履歴を全て取ることで「いつ」と「どう」は記録しているが「だれ」までは必ずしも明確ではない)

 このような『世界図絵』が持つ「欠陥」は、物語を盛り上げるために意図的に挿入されたものでしょう。欠陥によってピンチに陥ったり、欠陥を克服して問題を解決するようなドラマがあり得ます。

 しかし、欠陥を認識しないでデータベース化モデルを運用するならば、おそらく無自覚的にピンチを招き入れる大きなリスクを持つでしょう。

 そのような意味で、「データベース化」というモデルを使用することは自ら災厄を招き入れるような行為と言えます。

データベース化の問題とは何か? §

 では、データベースモデルのどこに具体的な問題があるのでしょう?

 データベースには以下の3つの特徴があることを示しました。

  • 1つである
  • 自動更新される
  • 万能性がある

 まず「1つである」という特徴は、論理的に整合しない異論を扱うことができないことを意味します。超やエヴァの言うとおり、世の中に相容れない正義があることは珍しくなく、戦う当事者のどちらかが悪であることも希です。それゆえに、たった1つの解釈に収束できない物事は世の中に山のようにあります。しかし、データベース化というモデルはそれをたった1つのデータベースに落とし込むために整理と分類を要求します。それは、解釈を1つに収束しなければならないことを意味します。もし、1つに収束しないとすればデータベースは多義的な内容を含むことになり、「たった1つ」という条件から離れてしまいます。

 次に「自動更新される」という特徴は、データベースによる解釈が一定しないことを意味します。たとえば、ある人がある質問に対して、「Aだ」と答えたにも関わらず、翌日には「Bだ」と答える可能性があり得ます。そのようなリアクションは、当人からすれば自然なことかもしれませんが、外部から見ると「言うことがコロコロ変わって信用できない奴」に見えるリスクがあります。また、自動更新のメカニズムを熟知していると、自分に有利な情報を自動更新によって誰かに挿入し、相手の判断をねじ曲げることも可能となります。実際、マスコミやネットを使ったそのような操作の試みは実際に行われていると見て良いでしょう。そして、そのような操作によって判断をねじ曲げられた者達が少なからず存在することも、まず間違いないでしょう。

 最後に「万能性がある」という特徴は、「それによって判断できないことまで判断できる」という錯覚をもたらします。逆に言えば、別の手法を得る必要がない、つまり「自分は完全な知性を持つ」という錯覚に至るリスクを持ちます。

 ネギま!の作中で、「世界図絵」を持つ夕映は哲学等に傾倒していて読書量も豊富であるために、そのような錯覚に陥りません。しかし、「自分は正しいことを全て分かっている万能の知性を持つ存在だ」というような態度で「見下ろすような視線で高圧的に悪を叩く」文章はネットのあちこちに典型的に見られます。もちろん、それらの文章が本当に正しいのかと言えば、そうではありません。しごく単純に、論拠そのものが曖昧であったり、論旨に抜けや隙が多いものばかりです。そもそも、簡単に「悪」を断定できるという時点で、明らかに知性が足りません。(逆に言えば、ネギと千雨と夕映が3人がかりで考えても超を悪として成敗する根拠を見出せなかった学園祭編には、本当の知性があると言えます)

 以上のように、データベース化とは長所を上回る短所の宝庫だと言えます。

 また、そのような短所は百年単位の過去において既に認識されているものであり、何ら目新しいものではないと言えます。

実は少数派に過ぎないデータベース採用者 §

 実はデータベースはオタクの主流と書きましたが、厳密に言えばこれも間違いです。というのは、データベースに依存するオタク向け作品は実際にはアニメやコミックの全てではなくその中の比較的小さな割合でしかないからです。

 たとえば、アニメで言えば、典型的なデータベース作品であるオタク向け萌え系アニメは、(東京では)UHF局や深夜にしか放送されていません。ゴールデンタイムで放送されるアニメは、明らかに外部参照型です。たとえば、ゴールデンタイムに放送される名探偵コナンは人名地名に古典ミステリーへの参照を持ち、NARUTOは歴史上の(かなりの割合が架空の)忍者達や忍術への参照を持ちます。そして、そのような外部参照を持つアニメの方がより多くの視聴者から支持されているのも、ゴールデンタイムのキー局で放送できるという事実から明らかでしょう。

 つまり、データベースを採用した者達は実は少数派でしか無く、多数派は外部参照型を支持していると言えます。

いやー、ネギま!って素晴らしいものですね! §

 つまり、ネギま!という作品は、真の多数派の立場に立つものであり、データベースを採用した少数派のコアなオタクではなく、より幅広い広義のオタク、あるいは一般読者にアピールするように作られている作品と言えます。

 その上で、親切にもデータベースの欠陥まで指摘しているわけです。

補遺・足し算解釈とかけ算解釈 §

 オタクの世界で有名なサイト運営者が「0を1にするのは不得意だが、1を10にするのは得意だ」と発言しているインタビュー記事を見たことがあります。

 おそらく当人は、「0を1にするよりも、1を10にする方が貢献が大きい」と思っての発言でしょう。増分は1ではなく9倍も多い9だからです。

 これを足し算解釈とここでは呼ぶことにしましょう。

 これに対立する概念はかけ算解釈です。

 かけ算解釈では、0を1にするには無限大を掛けねばなりません。しかし、1を10にするには、10を掛けるだけで済みます。つまり、無限大を掛ける立場と、10を掛ける立場のどちらの貢献が大きいかです。もちろん、無限大を掛ける立場の方が、遙かに貢献が大きいと言えます。

 ここで「足し算解釈」とはデータベースの方法論であり、「かけ算解釈」は外部参照の方法論であると考えられます。

 データベースはデータの集積量によって勝負が決まる面が大きいため、どうしても量の積み重ね、つまり足し算思考になるのでしょう。一方、外部参照は膨大な知の蓄積に対して少数の参照を敷くだけで大きな成果が得られることもあるという意味で、かけ算的です。

 つまり、外部参照とはより少ない労力によってより多くの知を獲得できる方法論であり、そのような観点からデータベースよりも強いと言えます。その効果は、扱う情報量が増えれば増えるほど圧倒的な差となります。

 たとえば2+2と2*2はどちらも4で区別が付かないかもしれませんが、10+10=20と10*10=100は圧倒的な差となります。つまり、足し算型の方法論では1つ1つ積み上げていくしかないが、かけ算型の方法論では一瞬で1を100にも1000にもできるわけです。

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