東京荏原都市物語資料館さんの下北沢X物語(1163)~帝都電鉄文化ライン考6~に、トロッコに関する記述がありました。かつてはナローゲージャー(軽便鉄道模型趣味者)だったこともあるので、これは見過ごせません。
むかし、軽便鉄道といえば、木曽森林鉄道等、遠出しなければ見られないものと思いこんでいたし、西武山口線にコッペルが走った時にはかなり遠いのに「近さ」に喜び、武蔵村山市立歴史民俗資料館に行ったときには偶然であった武蔵村山の軽便鉄道(廃線跡)に喜んだ私ですから、まさか下北沢周辺にそれがあったとなれば、どうしても気になります。というわけで、軽く机上調査。
問題箇所の引用 §
今井さんの言っていることは今津博氏も「昔の代田」に書いている。
線路用地の工事が始まった。今日のような大型土木機械が有る時代ではない。専ら人力で、用具はツルハシ・シャベルの類い。掘った土はトロッコを用い下北沢から池ノ上の間の嵩上げ用に運ぶのであるが、このトロッコの台上に高さ約50㎝の板枠をおき、これがいっぱいになると10台ぐらいを連結し、気動車で繋引していく。
帝都電鉄の築堤の土については「守山公園」からも運んだようである。(中略)
「守山公園のところにもトロッコの線路が延びていましてね。そこから土を掘って運び出していましたよ。」
守山分譲地の土を運んでいたというのは初耳だ。これはこの間今津氏も同じことを言っていた。ダイダラボッチ川左岸の急傾斜を削って雛壇式の分譲地を造成したものと思われる。箱根土地が守山分譲地として昭和10年に売り出している。宅地造成と築堤造成には関係がある。私鉄の敷設には宅地開発がつきものだった。
まず「昔の代田」はいずれ目を通さないといけないとして、問題はその後の「守山公園」や「守山分譲地」の場所はどこか、です。まず、守山という名称は「守山小学校」のような名称に明確に見られます。
しかし、守山公園は俗称であり、そのような施設は必ずしも存在しないことが示されています。守山分譲地も、分譲地らしい道が連なった場所は分かりますが、そこが意図した場所であるかは分かりません。
ですが、ここには1つのヒントがあります。
この雛壇に急傾斜屋根として知られている「長谷川家住宅」がある。昭和10年頃の建築で、登録有形文化財となっている。トロッコが切り取った崖上にこの家は建築されたということになる。
そこで「長谷川家住宅」で検索してみましたが、あちこちに同じ名前の住宅があるようです。
そこで世田谷区に絞って検索したところ東京の歴史的建築-3 【太田区、世田谷区、渋谷区、杉並区、豊島区、多摩地域】より「世田谷区代田6-5-11」という番地が判明。
番地を検索したところ、これに該当するのはここです。(このポイントした位置が正確に「長谷川家住宅」であるかは分かりませんが、このあたりであるのは間違いないでしょう。
縦横に区切られた道路に整然と並ぶ住宅地。おそらく、ここが守山分譲地なのでしょう。
つまり、このあたりにトロッコの線路が引かれていて、宅地造成のために切り崩された土が帝都線(井の頭線)の築堤建設のために運ばれたことになります。
更に悩ましい「気動車」という言葉 §
単純に考えると「気動車」がトロッコを牽引したという記述は不自然であり、ディーゼル機関車が牽引したと言いたくなりますが、日本のディーゼル機関車史を見ると微妙な感があります。
井の頭線が開業した昭和8年は1933年ですが、日本初のディーゼル機関車は1927年雨宮製作所の8t機関車とされるので、時期的にディーゼル機関車を使用できた可能性もあり得ます。
また、以下のような記述も見られます。
これに対し、内務省などの工事用ではMANなどの欧米メーカー製品の採用を皮切りに燃料費の低廉なディーゼル機関車採用に乗り出す例が幾つか現れており、それらをデッドコピーした国産品も製造された。また、地方鉄道向けでも池貝鉄工所製150PS級機関を搭載して日立製作所が1931年に製造した成田鉄道D1001形ディーゼル機関車のように独自に国産ディーゼル機関車開発を模索する例が幾つか見られた。
ですから、「工事用」としてこの時代にディーゼル機関車が使われた可能性はあり得そうです。しかし、それはあくまでディーゼル機関車だったとしても時期的に整合するというだけの話で、本当にディーゼル機関車だったかは分かりません。たとえば、それ以前から使われていたガソリン機関車という可能性もあります。
それとは別に、日本の気動車史を見て思ったのは、ここに写真が掲載されているような小型のガソリンカー(小型の単端)がトロッコを牽引してもおかしくはないかな……ということです。単端が客車や貨車を牽引した例はあるので。
更に言えば、「気動車」という都会の一般人がまず使わない用語を使っている点も踏まえると、意外とディーゼル機関車でもガソリン機関車でもなく、本当に単端のような気動車が牽引していたのかも知れない、という可能性を感じてしまいます。
いずれにせよ、このあたりは全て感想文であって、何か意味のあることを述べているわけではありません。