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The art of Ponyo on the cliff by the sea
The art of Ponyo on the cliff by the sea
紀伊國屋書店

2008年09月30日
トーノZEROアニメ感想崖の上のポニョtotal 10649 count

「崖の上のポニョ」の世界観に踏み込む試みPart2・これを踏まえずに映画を分かった気になってはいけない? デボネンクスの秘密!?

Written By: トーノ・ゼロ連絡先

 これは、宮崎駿ネットワーカーFCのWindsTalkメーリングリストに書いた内容の再編集版です。

 Part-1から続きます。

ポニョ淡水魚説につながるデボン紀の魚 §

 川崎悟司イラスト集を見ていて、1つ気付いたことがあります。直接ディプノリンクスとボトリオレピスのページに行かず、以下のデボン紀の表紙を経由して見に行く場合……。

古生代・デボンの世界・川崎悟司イラスト集

 ここでは「海」と「川」の2つにリストが分類されています。

 どちらのリストにも多数の魚やその他の生物が掲載されています。

 そして、ディプノリンクスとボトリオレピスはどちらも「川」に分類されています。

 これは、ちょっとした小さな違和感です。

 もちろん、サンプルが2つしか無い以上、それが「川」に偏る可能性は小さいものではありません。しかし、宮崎さんが多数の既知の生物からこの2つを選んだことには何か理由があるとも考えられます。

 そして、もう1つの決定的な違和感があります。

 「川」の魚ということは、「海」の魚ではないことを示します。しかし、ポニョが引き起こした海面上昇と共に出現した魚がディプノリンクスとボトリオレピスです。それにも関わらず、これらは「川」の魚なのです。つまり、「海から来る淡水魚」となってしまいます。

 このように考えると、実は最初からあった根本的な疑問が連想されます。

 それは「海から来る金魚のポニョは海水魚なのか淡水魚なのか」という問題です。

 もし、金魚であれば淡水魚です。

 つまり、「海から来る淡水魚」と解釈できるのです。

 この2つは、まさに「海から来る淡水魚」というモチーフを共有します。

 こうして2つの別個の描写が同じ方向性を指し示すのは、おそらく偶然ではないでしょう。つまり、「海から来る淡水魚」という矛盾描写は、必然的に要求されたことになります。

 逆に言えば、「金魚が海から来るのはミスでも手抜きでも無いよ」という意図をさりげなく示すヒントとして、デボン紀の川の魚を泳がせたという可能性も考えられます。

デボン紀の魚との対比で再解釈するポニョ淡水魚説 §

 前の話の通り、仮に「海から来る淡水魚」を「デボン紀の魚」と「ポニョ」に共通する特徴だと考えてみましょう。

 その際、ポニョは海水がNGではないという前提を取り入れる必要が生じます。

 しかし、淡水魚である、という前提を取る以上、海水は得意ではないと考えるのは妥当な線でしょう。

 とすると、映画の中のいろいろな描写に、驚くほど説明が付きます。

・ポニョと妹たちの家は海中の中に更に水槽的なケースが作られている

 ケースの外側は海水、内側は淡水かもしれません

・くらげでは身を隠せない

 ポニョが家出をする際、ポニョはクラゲに身を潜めます。しかし、透明なくらげでは身を隠したことにはなりません。ですが、海水との接触をできるだけ低くするためと考えれば、くらげの中に身体を入れることはリーズナブルかもしれません。

・瓶の中で弱ったポニョ

 弱った原因はいくつも考えられますが、海水に長時間浸る状況から脱出できなくなったから、という解釈も考えられます。その場合、淡水のバケツに入れられて復活する展開と整合します。

・波の上の走ってくるポニョ

 海中を泳いでくるわけではなく、即座に海の上の飛び出します。

 海水が苦手と考えれば、整合します。

・慌てるフジモト

 フジモトが熱心にポニョを連れ戻そうとする理由の中に、ポニョは淡水魚であ海水中に長時間放置できない、という事情があるかもしれません。まあ、父親であるというだけで、娘を連れ戻すには十分な理由になりますが。

 他にもまだあるかもしれませんが、ここまで。

 そうすると、次の謎は「そもそもなぜポニョは淡水魚なのか」という点に至ります。

ポニョは単なる淡水魚ではなくデボン紀の淡水魚!? §

 ポニョとデボン紀の魚の共通点は「海から来た淡水魚」と解釈すると、確かにポニョが淡水魚かもしれない、と思い当たる描写もあります。……という話を書いたわけですが。

 この話は、もう一歩だけ前進させることができます。

 ポニョとデボン紀の魚の共通点は「海から来た」「淡水魚」の2つだけなのでしょうか?

 もしや、ここまで似ているなら、他にも共通点が存在するのでは?

 つまり、ポニョも「デボン紀の魚」なのではないか? というアイデアに辿り着くわけです。

 もちろん、実際に存在が確認されたデボン紀の魚ではありません。

 しかし、ディプノリンクスの顔は、突き出した幅広の口、左右に離れた目など、半魚人のポニョに似ています。

 そして、あらためてディプノリンクスの説明文を読むと興味深い話が見えてきます。

http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/dhipunorinkusu.htmlより

頭骨は頑丈な骨の箱のようなもので両生類の頭骨と似ています。

その点から両生類の祖先は ユーステノプテロンではなく、

この肺魚ではないかという説があります。

 ディプノリンクスは、魚と両生類の境界領域にいる(かもしれない)存在。

 そして半魚人のポニョも、四肢を獲得した魚という意味で、魚と両生類の境界領域にいる存在となります。

 この類似が偶然であるはずがありません。

 明らかに宮崎さんが意図的に描いたと思って良いと思います。

 では、ポニョは進化の過程を魔法力によって高速に実行して四肢を獲得したのでしょうか? つまり新しい遺伝子をあり得ない速度で獲得して身体を変形させたのでしょうか?

 そうではないようです。

 なぜかといえば、フジモトは劣性遺伝子が発現している、といったような台詞を言っているからです。四肢を持つ遺伝子はもともとポニョの中にあったが、それは不活性的な状態に置かれていたのでしょう。宗介の血(か、あるいはハム)がその遺伝子を活性化させ、(更に魔法力が加わり)ポニョに四肢をもたらしたと考えられます。

四肢を持つフジモトの子供がなぜ魚なのか? §

 フジモトの台詞からすると、ポニョは最初から四肢を持つ遺伝子を持っていたにも関わらず、それが発現していなかったようです。

 では、なぜポニョは四肢を持つ遺伝子を持っていたのでしょうか? 魚から進化した両生類やは虫類が魚の遺伝子を持っている可能性はあり得ますが、逆は考えにくいことです。(無いとは言えません。遺伝子を外部から取り込むことはあり得ます)

 しかし、ポニョの実の父親がほ乳類のフジモトであることを思い返せば、その遺伝子の由来は明らかです。それはフジモトから受け継いだものです。

 つまりポニョは、フジモトが持つ遺伝子を全て受け継いでいるにも関わらず、両生類からほ乳類にいたる期間の遺伝子を不活性化させることで魚になった生き物だと考えられます。

 フジモトとポニョが「実の親子」であるという前提を是とすれば、これは極めて自然な解釈となります。

 いやちょっと待て。

 人間のフジモトの子供が魚のポニョって、そこを突っ込んだ事例をあまり見てないぞ。でもそこは最初に突っ込まれるべきところだろ?

 本当は、まず最初に「なぜフジモトの子供が魚なのか」という角度から追求されてしかるべきだったのではないか?

 実は、多くの観客から見て、ここが盲点だったのではないか?

 フジモトとポニョの親子関係に疑問を感じない、あるいは、親子関係であることそのものが見落とされる現象が多発してないか?

 劇中で使われる「魔法」のような言葉に惑わされて、最初に持つはずの疑問を華麗にスルーしてしまっていないか? (いや、これは自分も含めて)

 話を戻すと。

 これにより、ポニョが淡水魚である理由も明らかです。両生類に進化する直前の段階の魚たちは川に住んでいたのです。両生類以降の遺伝子を不活性にすることで到達した魚形態は、必然的に淡水魚になるわけです。

 つまり、遺伝子、進化という観点に照らして、ポニョという作品にはある種の筋を通した合理性が存在することになります。もちろん、あり得ない嘘の描写や展開が山のようにあって、リアルとは到底言えません。しかし、作品世界が持つ「お約束」のレイヤーに対しては忠実に作られていると考えても良さそうです。つまり、フジモトが口走る「DNAの二重らせん」のような言葉は、限定的な範囲において意味を持っていて、かつ、その限定的な意味は忠実に遵守されていると考えられます。

 とすれば、このような「遵守」をテコにして、作品のより深い解釈に踏み込むことは可能です。

 いや、その言い方は厳密には誤りでしょう。そのような「遵守」の存在を示唆することで、宮崎駿は作品をよりよく知ろうとする者に対して、開けっぴろげに作品深部への扉を開け放っていると言えるわけです。

 いやもう、露骨に開けっぴろげに開いた扉を誇示していますね。

 半裸の美女がにっこり笑って誘っているのと同じぐらい、露骨に分かりやすく開いた扉を見せています。

 それにも関わらず、扉の存在に気付かないで素通りする人がいかに多いか。むしろ、理屈で考えないで感性で流している人の方が扉に気付く傾向があるのかも。いや、扉には区付かなくとも、半裸の美女には気付くわけです。頭が良すぎることは、肝心なことを見落とすことにもつながります。

 また話がずっこけたので、戻します。

 つまり、ポニョとは以下のような生き物であると考えられます。

  • 少なくともフジモトの遺伝子を受け継いでいる (フジモトは実の父親)
  • フジモトはポニョの遺伝子に細工をして両生類以降の形質が発現しないようにした
  • また、魚としての形質が発現しやすいように細工したり、魚として足りない遺伝子を補った可能性もあり得る
  • これにより、ポニョや妹たちは、両生類に進化する直前の形態、デボン紀の淡水魚として誕生した (しかし、既知のデボン紀の魚の1つとして誕生したわけではない)
  • しかし、発現が抑制されているだけで、両生類から人間にいたる遺伝子が消されたわけではなく、抑制の原因が除去されればそれは発現しうる

 このように考えると、人間形態のポニョとは、フジモトの子としてストレートに生まれた場合に取ったはずの姿であるとも考えられます。

既知ではないデボン紀の魚「デボネンクス」はなぜいるのか? §

 このように考えると、実は1つ1つの描写に具体的なバックグラウンドのメカニズムが想定されている可能性が考えられます。

 そのように考えると、これまで意図的に触れてこなかった3種類目のデボン紀の魚「デボネンクス」が存在する意味がおぼろげに見えてくる感があります。

 デボネンクスは、崖の上のポニョで具体的に名指しで登場する3種類のデボン紀の魚の1つであり、唯一宮崎駿デザインの架空の魚とされます。そのことは劇場パンフにも記述されています。

 さて、単純に考えれば「デボネンクス」は、「僕が考えた怪獣」の一種です。子供が特撮ヒーロードラマを見て、新しい怪獣を自分で考えて絵に描いてみたりする……。そういった活動の一種です。

 余談ですが、幼稚園児の頃は、サンダーバード6号以降のメカを勝手に考えて絵を描いてましたよ。もちろん、映画のサンダーバード6号など知らない時代です。たぶん十数号まで描いたと思いますが、どちらかといえば2号のコンテナに入れて運ぶメカという感じでしたね。さて、実際に「僕が考えたXX」を募集する企画は珍しくないことから考えて、これは典型的によく見られるものなのでしょう。

 このように考えたとき、デボネンクスとは幼児的マスターベーションの産物であり、通常であれば大金を掛けて作る映画に登場することはあり得ない性質のものだと言えます。注目を集めるためのキャンペーンとして募集したデザインを使う等の話であれば別ですが、そういう事情が無ければ普通はあり得ません。

 それにも関わらず、それを映画に取り入れられたとすれば、それは監督が持つ強権を行使して、幼児的マスターベーションをごり押ししたことになります。

 うん、宮崎駿も老いたね。頭の中身が幼児退行しとるよ。

 ……という解釈は、そのように解釈する方が幼児退行していると思った方が良いでしょう。集団作業において、監督の単なる我が儘はそう簡単に押し通せません。それが、人間集団、組織の持つ特質です。アーティスト肌のスタッフも含むジブリでは、通常よりも更に難しいでしょう。圧倒的な独裁者と絶対的な支配体制をあってすら、実際には完全に思い通りの支配はできません。従って、デボネンクスが登場するにあたっては、そこに何らかの「他人を説得可能な理」が存在しなければなりません。その「理」が正しいか間違っているかは別として、それが映画に必要とされる何らかの「理」があることは間違いないでしょう。

 ここでデボネンクスについて再確認します。

  • デボン紀の魚である
  • 実際に確認されたデボン紀の魚ではない (化石が存在しない)
  • デボネンクスという名前がある
  • 現代の人類が命名した「デボン紀」に由来すると思われる「デボン」という言葉を含む以上、このネーミングは「デボン紀」ではなく「現代」
  • デボネンクスという名前を宗介は知らないがポニョは知っている

 このような前提は、それだけで考えると破綻しています。現代の人類は化石を通してしかデボン紀の魚を認識できないのに、デボネンクスの化石は存在しないわけです。フィクション上のお約束と解釈しても破綻します。崖の上のポニョの作品世界には化石があり、名前が付けられていると解釈すると、デボン紀の魚もよく知っている宗介がデボネンクスだけ知らないのは筋が通りません。

 つまり、どちらの角度から攻めても論旨が破綻します。

 しかし、フジモトという人物の存在を配慮に入れると、第3の解釈が可能になります。フジモトは、進化を制御する技術を持ち、より古い世代の生物を作り出すことができると考えられます。ディプノリンクスやボトリオレピスが生み出されていることからも、それは分かります。

 この方法は、化石に依存せずに太古の生命を知る手段となります。

 つまり、化石の有無は問題ではないのです。たとえ化石が残っていない生物であっても、この方法で確認しうる可能性があるわけです。

 仮にフジモトがそのようなやり方を実行したとしましょう。彼は、ディプノリンクスやボトリオレピスの他に、未知の魚を見ることになります。デボン紀の魚であるため、フジモトはこれにデボネンクスという名前を付けた可能性は考えられます。

 そして、同じメカニズムによってポニョも生まれた可能性があります。つまり、ポニョから見て、ディプノリンクス、ボトリオレピス、デボネンクスは親しい隣人であった可能性があり得ます。

 更に言えば、娘達にいろいろなものを見せるために連れ出す行為から推測される通り、フジモトは娘達への教育を怠らないタイプと考えられます。フジモトは、ポニョにディプノリンクス、ボトリオレピス、デボネンクスの名前も教えたでしょう。

 このように考えると、デボネンクスが登場しなければならない明確な理由が見えてきます。

 つまり、デボン紀の魚の復活は、ポニョの魔法によって初めて発生したものではなく、既にフジモトが達成済みであるという意図が間接的に描かれた描写であると言えます。それは、ポニョも一種の「復活されたデボン紀の魚」であるという状況に至るヒントの1つとしても機能します。

 また、「デボネンクス」という「デボン」を含むネーミングも必然です。その名は、現代人にしか付けられないのです。太古より伝承された古い知識ではあり得ないわけです。

 次回に続きます。

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崖の上のポニョ

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Written By: トーノ・ゼロ連絡先

 これは、宮崎駿ネットワーカーFCのWindsTalkメーリングリストに書いた内容の再編集版です。

 Part-1から続きます。

ポニョ淡水魚説につながるデボン紀の魚 §

 川崎悟司イラスト集を見ていて、1つ気付いたことがあります。直接ディプノリンクスとボトリオレピスのページに行かず、以下のデボン紀の表紙を経由して見に行く場合……。

古生代・デボンの世界・川崎悟司イラスト集

 ここでは「海」と「川」の2つにリストが分類されています。

 どちらのリストにも多数の魚やその他の生物が掲載されています。

 そして、ディプノリンクスとボトリオレピスはどちらも「川」に分類されています。

 これは、ちょっとした小さな違和感です。

 もちろん、サンプルが2つしか無い以上、それが「川」に偏る可能性は小さいものではありません。しかし、宮崎さんが多数の既知の生物からこの2つを選んだことには何か理由があるとも考えられます。

 そして、もう1つの決定的な違和感があります。

 「川」の魚ということは、「海」の魚ではないことを示します。しかし、ポニョが引き起こした海面上昇と共に出現した魚がディプノリンクスとボトリオレピスです。それにも関わらず、これらは「川」の魚なのです。つまり、「海から来る淡水魚」となってしまいます。

 このように考えると、実は最初からあった根本的な疑問が連想されます。

 それは「海から来る金魚のポニョは海水魚なのか淡水魚なのか」という問題です。

 もし、金魚であれば淡水魚です。

 つまり、「海から来る淡水魚」と解釈できるのです。

 この2つは、まさに「海から来る淡水魚」というモチーフを共有します。

 こうして2つの別個の描写が同じ方向性を指し示すのは、おそらく偶然ではないでしょう。つまり、「海から来る淡水魚」という矛盾描写は、必然的に要求されたことになります。

 逆に言えば、「金魚が海から来るのはミスでも手抜きでも無いよ」という意図をさりげなく示すヒントとして、デボン紀の川の魚を泳がせたという可能性も考えられます。

デボン紀の魚との対比で再解釈するポニョ淡水魚説 §

 前の話の通り、仮に「海から来る淡水魚」を「デボン紀の魚」と「ポニョ」に共通する特徴だと考えてみましょう。

 その際、ポニョは海水がNGではないという前提を取り入れる必要が生じます。

 しかし、淡水魚である、という前提を取る以上、海水は得意ではないと考えるのは妥当な線でしょう。

 とすると、映画の中のいろいろな描写に、驚くほど説明が付きます。

・ポニョと妹たちの家は海中の中に更に水槽的なケースが作られている

 ケースの外側は海水、内側は淡水かもしれません

・くらげでは身を隠せない

 ポニョが家出をする際、ポニョはクラゲに身を潜めます。しかし、透明なくらげでは身を隠したことにはなりません。ですが、海水との接触をできるだけ低くするためと考えれば、くらげの中に身体を入れることはリーズナブルかもしれません。

・瓶の中で弱ったポニョ

 弱った原因はいくつも考えられますが、海水に長時間浸る状況から脱出できなくなったから、という解釈も考えられます。その場合、淡水のバケツに入れられて復活する展開と整合します。

・波の上の走ってくるポニョ

 海中を泳いでくるわけではなく、即座に海の上の飛び出します。

 海水が苦手と考えれば、整合します。

・慌てるフジモト

 フジモトが熱心にポニョを連れ戻そうとする理由の中に、ポニョは淡水魚であ海水中に長時間放置できない、という事情があるかもしれません。まあ、父親であるというだけで、娘を連れ戻すには十分な理由になりますが。

 他にもまだあるかもしれませんが、ここまで。

 そうすると、次の謎は「そもそもなぜポニョは淡水魚なのか」という点に至ります。

ポニョは単なる淡水魚ではなくデボン紀の淡水魚!? §

 ポニョとデボン紀の魚の共通点は「海から来た淡水魚」と解釈すると、確かにポニョが淡水魚かもしれない、と思い当たる描写もあります。……という話を書いたわけですが。

 この話は、もう一歩だけ前進させることができます。

 ポニョとデボン紀の魚の共通点は「海から来た」「淡水魚」の2つだけなのでしょうか?

 もしや、ここまで似ているなら、他にも共通点が存在するのでは?

 つまり、ポニョも「デボン紀の魚」なのではないか? というアイデアに辿り着くわけです。

 もちろん、実際に存在が確認されたデボン紀の魚ではありません。

 しかし、ディプノリンクスの顔は、突き出した幅広の口、左右に離れた目など、半魚人のポニョに似ています。

 そして、あらためてディプノリンクスの説明文を読むと興味深い話が見えてきます。

http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/dhipunorinkusu.htmlより

頭骨は頑丈な骨の箱のようなもので両生類の頭骨と似ています。

その点から両生類の祖先は ユーステノプテロンではなく、

この肺魚ではないかという説があります。

 ディプノリンクスは、魚と両生類の境界領域にいる(かもしれない)存在。

 そして半魚人のポニョも、四肢を獲得した魚という意味で、魚と両生類の境界領域にいる存在となります。

 この類似が偶然であるはずがありません。

 明らかに宮崎さんが意図的に描いたと思って良いと思います。

 では、ポニョは進化の過程を魔法力によって高速に実行して四肢を獲得したのでしょうか? つまり新しい遺伝子をあり得ない速度で獲得して身体を変形させたのでしょうか?

 そうではないようです。

 なぜかといえば、フジモトは劣性遺伝子が発現している、といったような台詞を言っているからです。四肢を持つ遺伝子はもともとポニョの中にあったが、それは不活性的な状態に置かれていたのでしょう。宗介の血(か、あるいはハム)がその遺伝子を活性化させ、(更に魔法力が加わり)ポニョに四肢をもたらしたと考えられます。

四肢を持つフジモトの子供がなぜ魚なのか? §

 フジモトの台詞からすると、ポニョは最初から四肢を持つ遺伝子を持っていたにも関わらず、それが発現していなかったようです。

 では、なぜポニョは四肢を持つ遺伝子を持っていたのでしょうか? 魚から進化した両生類やは虫類が魚の遺伝子を持っている可能性はあり得ますが、逆は考えにくいことです。(無いとは言えません。遺伝子を外部から取り込むことはあり得ます)

 しかし、ポニョの実の父親がほ乳類のフジモトであることを思い返せば、その遺伝子の由来は明らかです。それはフジモトから受け継いだものです。

 つまりポニョは、フジモトが持つ遺伝子を全て受け継いでいるにも関わらず、両生類からほ乳類にいたる期間の遺伝子を不活性化させることで魚になった生き物だと考えられます。

 フジモトとポニョが「実の親子」であるという前提を是とすれば、これは極めて自然な解釈となります。

 いやちょっと待て。

 人間のフジモトの子供が魚のポニョって、そこを突っ込んだ事例をあまり見てないぞ。でもそこは最初に突っ込まれるべきところだろ?

 本当は、まず最初に「なぜフジモトの子供が魚なのか」という角度から追求されてしかるべきだったのではないか?

 実は、多くの観客から見て、ここが盲点だったのではないか?

 フジモトとポニョの親子関係に疑問を感じない、あるいは、親子関係であることそのものが見落とされる現象が多発してないか?

 劇中で使われる「魔法」のような言葉に惑わされて、最初に持つはずの疑問を華麗にスルーしてしまっていないか? (いや、これは自分も含めて)

 話を戻すと。

 これにより、ポニョが淡水魚である理由も明らかです。両生類に進化する直前の段階の魚たちは川に住んでいたのです。両生類以降の遺伝子を不活性にすることで到達した魚形態は、必然的に淡水魚になるわけです。

 つまり、遺伝子、進化という観点に照らして、ポニョという作品にはある種の筋を通した合理性が存在することになります。もちろん、あり得ない嘘の描写や展開が山のようにあって、リアルとは到底言えません。しかし、作品世界が持つ「お約束」のレイヤーに対しては忠実に作られていると考えても良さそうです。つまり、フジモトが口走る「DNAの二重らせん」のような言葉は、限定的な範囲において意味を持っていて、かつ、その限定的な意味は忠実に遵守されていると考えられます。

 とすれば、このような「遵守」をテコにして、作品のより深い解釈に踏み込むことは可能です。

 いや、その言い方は厳密には誤りでしょう。そのような「遵守」の存在を示唆することで、宮崎駿は作品をよりよく知ろうとする者に対して、開けっぴろげに作品深部への扉を開け放っていると言えるわけです。

 いやもう、露骨に開けっぴろげに開いた扉を誇示していますね。

 半裸の美女がにっこり笑って誘っているのと同じぐらい、露骨に分かりやすく開いた扉を見せています。

 それにも関わらず、扉の存在に気付かないで素通りする人がいかに多いか。むしろ、理屈で考えないで感性で流している人の方が扉に気付く傾向があるのかも。いや、扉には区付かなくとも、半裸の美女には気付くわけです。頭が良すぎることは、肝心なことを見落とすことにもつながります。

 また話がずっこけたので、戻します。

 つまり、ポニョとは以下のような生き物であると考えられます。

  • 少なくともフジモトの遺伝子を受け継いでいる (フジモトは実の父親)
  • フジモトはポニョの遺伝子に細工をして両生類以降の形質が発現しないようにした
  • また、魚としての形質が発現しやすいように細工したり、魚として足りない遺伝子を補った可能性もあり得る
  • これにより、ポニョや妹たちは、両生類に進化する直前の形態、デボン紀の淡水魚として誕生した (しかし、既知のデボン紀の魚の1つとして誕生したわけではない)
  • しかし、発現が抑制されているだけで、両生類から人間にいたる遺伝子が消されたわけではなく、抑制の原因が除去されればそれは発現しうる

 このように考えると、人間形態のポニョとは、フジモトの子としてストレートに生まれた場合に取ったはずの姿であるとも考えられます。

既知ではないデボン紀の魚「デボネンクス」はなぜいるのか? §

 このように考えると、実は1つ1つの描写に具体的なバックグラウンドのメカニズムが想定されている可能性が考えられます。

 そのように考えると、これまで意図的に触れてこなかった3種類目のデボン紀の魚「デボネンクス」が存在する意味がおぼろげに見えてくる感があります。

 デボネンクスは、崖の上のポニョで具体的に名指しで登場する3種類のデボン紀の魚の1つであり、唯一宮崎駿デザインの架空の魚とされます。そのことは劇場パンフにも記述されています。

 さて、単純に考えれば「デボネンクス」は、「僕が考えた怪獣」の一種です。子供が特撮ヒーロードラマを見て、新しい怪獣を自分で考えて絵に描いてみたりする……。そういった活動の一種です。

 余談ですが、幼稚園児の頃は、サンダーバード6号以降のメカを勝手に考えて絵を描いてましたよ。もちろん、映画のサンダーバード6号など知らない時代です。たぶん十数号まで描いたと思いますが、どちらかといえば2号のコンテナに入れて運ぶメカという感じでしたね。さて、実際に「僕が考えたXX」を募集する企画は珍しくないことから考えて、これは典型的によく見られるものなのでしょう。

 このように考えたとき、デボネンクスとは幼児的マスターベーションの産物であり、通常であれば大金を掛けて作る映画に登場することはあり得ない性質のものだと言えます。注目を集めるためのキャンペーンとして募集したデザインを使う等の話であれば別ですが、そういう事情が無ければ普通はあり得ません。

 それにも関わらず、それを映画に取り入れられたとすれば、それは監督が持つ強権を行使して、幼児的マスターベーションをごり押ししたことになります。

 うん、宮崎駿も老いたね。頭の中身が幼児退行しとるよ。

 ……という解釈は、そのように解釈する方が幼児退行していると思った方が良いでしょう。集団作業において、監督の単なる我が儘はそう簡単に押し通せません。それが、人間集団、組織の持つ特質です。アーティスト肌のスタッフも含むジブリでは、通常よりも更に難しいでしょう。圧倒的な独裁者と絶対的な支配体制をあってすら、実際には完全に思い通りの支配はできません。従って、デボネンクスが登場するにあたっては、そこに何らかの「他人を説得可能な理」が存在しなければなりません。その「理」が正しいか間違っているかは別として、それが映画に必要とされる何らかの「理」があることは間違いないでしょう。

 ここでデボネンクスについて再確認します。

  • デボン紀の魚である
  • 実際に確認されたデボン紀の魚ではない (化石が存在しない)
  • デボネンクスという名前がある
  • 現代の人類が命名した「デボン紀」に由来すると思われる「デボン」という言葉を含む以上、このネーミングは「デボン紀」ではなく「現代」
  • デボネンクスという名前を宗介は知らないがポニョは知っている

 このような前提は、それだけで考えると破綻しています。現代の人類は化石を通してしかデボン紀の魚を認識できないのに、デボネンクスの化石は存在しないわけです。フィクション上のお約束と解釈しても破綻します。崖の上のポニョの作品世界には化石があり、名前が付けられていると解釈すると、デボン紀の魚もよく知っている宗介がデボネンクスだけ知らないのは筋が通りません。

 つまり、どちらの角度から攻めても論旨が破綻します。

 しかし、フジモトという人物の存在を配慮に入れると、第3の解釈が可能になります。フジモトは、進化を制御する技術を持ち、より古い世代の生物を作り出すことができると考えられます。ディプノリンクスやボトリオレピスが生み出されていることからも、それは分かります。

 この方法は、化石に依存せずに太古の生命を知る手段となります。

 つまり、化石の有無は問題ではないのです。たとえ化石が残っていない生物であっても、この方法で確認しうる可能性があるわけです。

 仮にフジモトがそのようなやり方を実行したとしましょう。彼は、ディプノリンクスやボトリオレピスの他に、未知の魚を見ることになります。デボン紀の魚であるため、フジモトはこれにデボネンクスという名前を付けた可能性は考えられます。

 そして、同じメカニズムによってポニョも生まれた可能性があります。つまり、ポニョから見て、ディプノリンクス、ボトリオレピス、デボネンクスは親しい隣人であった可能性があり得ます。

 更に言えば、娘達にいろいろなものを見せるために連れ出す行為から推測される通り、フジモトは娘達への教育を怠らないタイプと考えられます。フジモトは、ポニョにディプノリンクス、ボトリオレピス、デボネンクスの名前も教えたでしょう。

 このように考えると、デボネンクスが登場しなければならない明確な理由が見えてきます。

 つまり、デボン紀の魚の復活は、ポニョの魔法によって初めて発生したものではなく、既にフジモトが達成済みであるという意図が間接的に描かれた描写であると言えます。それは、ポニョも一種の「復活されたデボン紀の魚」であるという状況に至るヒントの1つとしても機能します。

 また、「デボネンクス」という「デボン」を含むネーミングも必然です。その名は、現代人にしか付けられないのです。太古より伝承された古い知識ではあり得ないわけです。

 次回に続きます。

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