桜上水Confidentialさんが明大前駅近くにあった自動車教習所に注目していると聞いたあと、しばらくして気付きました。
- 戦前から存在する明大前駅近くの教習所
- しかし日本で自動車が普及するのは高度経済成長時代で戦前ではない
- 甲州街道を走っていた京王のバス路線
以上の3点を考え合わせると、実はバス運転手育成のための施設として設置された可能性は無いか、と思いました。
そこで、京王帝都電鉄三十年史を開いてみましたが、それに関連する記述は特に発見できず。
しかし、普段は読まないバス関連ページから興味深い路線図を発見しました。
下高井戸バス停はどこだ!? §
P39の「京王バス路線図(昭和13年)」には、当時のバス路線図が掲載されています。
下高井戸周辺は、甲州街道上に以下のような路線が見えます。
……、明大前、和泉本願寺前、下高井戸橋、下高井戸、八幡山駅前、烏山、……
下高井戸橋から分岐して大宮八幡へ至る支線
このうち、明大前、和泉本願寺前、八幡山駅前、烏山、大宮八幡にはさほど謎はありません。正確な位置はともかく、どこにあったのかはおおむね名前から予測が付きます。
問題は下高井戸橋と下高井戸です。
このうち、下高井戸橋はまさに、その名の通りの橋が玉川上水に存在するので(今でもある)、それを示すと考えて良いでしょう。事実として、昭和40年代に甲州街道が拡幅される前は、この橋の近くの甲州街道沿いに京王のバスターミナルがありました。
そして、この「下高井戸橋」とは、下高井戸駅から最も近い甲州街道の位置とほぼ同じです。
つまり、「下高井戸橋」バス停は、下高井戸駅(日大前駅)の最寄りバス停としての機能を持っていたことは確かでしょう。
とすると、非常に困ったことになります。
残った「下高井戸」を「下高井戸駅最寄りバス停」と解釈できなくなるのです。
次の「八幡山駅前」を文字通り京王線八幡山駅の最寄りバス停と解釈すれば、下高井戸橋と八幡山駅前の位置関係は以下の地図のようになります。
そして、昭和13年の下高井戸バス停はこの2つの中間、おそらく桜上水駅と上北沢駅の間ぐらいに存在したことが予想されます。
考察 §
現在「下高井戸」といえば多くの人が下高井戸駅周辺をイメージするのに対して、この時代はまだ違う場所がイメージされていた可能性があります。
また、現在「下高井戸」としてイメージされる場所は、大宮八幡へのアクセス分岐点としての重要性を持っていたことも考えられます。(下高井戸橋は、大宮八幡へ向かう際に渡る橋)
もう1つ、1926年(大正15年)には既に開業していたはずの桜上水駅(北沢車庫前駅)が、バス路線図では全く意識されていないことも読み取れます。(そのような意味では上北沢駅も同じ)
しかし、本当に意識されていなかったのか、それともこれらの駅の最寄りバス停として「下高井戸」が存在したのかはこの図からは読み取れません。