下高井戸から新宿まで、玉川上水と甲州街道はほとんど並行します。ならば、どこに橋があっても良いはずです。並行しづけるなら橋がなくても良いはずです。しかしガソリンスタンドから入る道が旧甲州街道と知って急にいろいろと考え始めました。
- 玉川上水は物理的な制約から稜線上にある
- 甲州街道は軍事的な理由から稜線上にある
- 従って両者は競合する
- 本来なら四谷大木戸まで交差しなくて良い (橋で渡る必要はない)
- 江戸時代は長く、資料があっても建設当初は違うかもしれない
そこから考えると以下のようなアイデアが浮かびました。
- 初期の甲州街道は稜線上を辿っている
- 玉川上水は主要街道である甲州街道と交差しない前提で計画されている
- 甲州街道は江戸時代から既に稜線から下ってショートカットする道があった
- ショートカットは、江戸時代のうちに承認され、正規の街道になった
- ショートカットは玉川上水以前から存在したので、橋は架けられたが、その時点で主要街道扱いではなかった
- しかし、ショートカット道が正規の甲州街道となってからは、この橋も甲州街道の一部として承認された
- 道路はショートカットできても、水路は下ると上がれないので稜線経路のまま
つまり、本来の甲州街道の経路は現在の玉川上水の経路とほぼ同じではないかと考えられます。つまり代田橋や笹塚で大きく遠回りしています。
とすれば、他の玉川上水の屈曲部も道路はそれに沿っていた可能性があります。たとえば明大前付近で一度玉川上水が甲州街道から離れるあたりも、後からショートカットして整備された可能性があります。
これでガソリンスタンド付近にあった橋の存在理由が見えてきます。なぜここに橋があったのか、という理由です。そして、当初その橋を渡る必然性は無かったことになります。
新宿成立の理由 §
ショートカット経路はそのまま玉川上水を渡らないで四谷まで行きます。従って、これが承認されて初めて「追分」が公式に成立することになり、新宿の成立がかなり後になって発生する理由も分かります。それ以前、追分は公式にそこに存在しないわけです。これはあくまで、青梅街道を利用するための非公式な近道の曲がり角でしかなかったわけです。
ご注意 §
という話はあくまですべて仮定の話なので信じないように。