ヤマトのモノクロ組とは何かという概念があれば、ヤマトのラジカセ組もあり得るでしょう。
これは以下の条件を満たす層です。
これは、モノクロ組よりもかなり幅広いと思います。
録音のことは「オタクの大統領」で詳しく述べられている他、アニメのケロロ軍曹でもさりげなく出てきて驚きました。子供のケロロとテレビの前にラジカセがあってママが来る描写は説明がありませんが、音を録音していたのだと思います。
(ちなみに、ケロロ軍曹に出てくるゲロロ艦長は明らかに宇宙戦艦ヤマトだ)
しかし、これもビデオデッキの低価格化と普及に伴って早期に消えてしまったスタイルだと思われます。
ラジカセ組はヤマトの時代にのみ、典型的に見られたものだと思います。ガンダムを録音した人がいないとは思いませんが、やはりビデオに依存する割合が大きいのではないかと思います。
単純ではない §
しかし、話はそれほど単純ではありません。
まず考えられるのは、マニアの存在です。
- ビデオデッキがあまりに高価すぎて買えないので、音声のみで諦めた
作画がイマイチでも音さえリッチであればアニメはヒットできた、という初期の傾向は、この点に寄るところも大きいのかも。たとえば、J9のヒット等もそういう理由が大きいかも知れません。なにしろ、SONYのビデオのJ9って知ってるかい?というぐらい、まだまだビデオは金持ちの存在だった時代です。(昔、医者の友達の家にあったぜ。どっちもどっちも、と言うにはほど遠い雲の上の機器だった)
しかし、これはおそらく物事の反面しか見ていません。というのはおそらく以下の点も存在するからです。
- ブームに乗ってラジカセを手に入れたのはいいが、録音機能を持て余して、録音する対象を探していた
たとえば、自分のへたくそな歌を録音しても聞きたい人など限られています。
そこで、ラジオを録音する(エアチェック)という行為に手を出してみるわけですが、限られた放送局しか無い以上、誰もが同じようなものを録音してしまうし、特に音楽番組ともなれば高年齢のマニアのお兄さんがたむろしていて、今更入っていけません。それ以前に欲しい歌が流れる可能性はかなり低かったし、数も多くはなかったといえます。そうなれば、テレビとは格好の音声ソースです。テレビ漫画の主題歌は毎週同じ時間に流れて録音しやすいのです。そして、テレビ漫画の主題歌を録音したコレクションだ……と言えば、それなりに胸を張れるでしょう。
そういうバックグラウンドを考えたとき、ヤマトのラジカセ組はけして少数ではなかったと思われます。
しかし §
とはいえ、この世界は技術開拓と表裏一体です。
WikiPediaに以下のように書いてあることは全くの嘘です。
ビデオレコーダーが家庭に普及する前は、テレビの前にラジカセを置いてテレビの音声を録音するのが、唯一のテレビ番組の保存方法だった。しかし、これはテレビの音を外部入力端子にケーブルを繋いがず直接内蔵マイクで録音する事から録音者及び周囲が静かにしないと他の物音も録音される欠点がある。
ラジカセをテレビの前に置くのは初歩の初歩でしかありません。けして唯一ではありません。すぐに誰もが卒業することになります。その代わりに使われるのがケーブルによる接続です。
- マイク入力に直接接続
- ライン入力があればそのまま接続
- ライン入力が無くともマイク入力があれば抵抗入りケーブルで接続
まず誰もが考えるのが最初のケースですが、これはレベルが合わないのでNG。2番目か3番目を使うことになります。
この段階まで進めば、ママもそれほど怖くはありません。録音中に変な音を立てても怖くありません。
(しかし、それでも大型電気製品のノイズが乗ったりするリスクはあったのだ。電源経由で。あと大型道路が近いので違法CBの通信が入り込んで小さく録音されてしまうこともあった)
更に以下のような発展技も容易です。
- ラジカセ2台と適切なケーブルがあれば複製を作れる
- ラジカセは可搬性が高いので、ボクと友達が持っていれば2台揃う
これでテレビ漫画の主題歌の交換会も可能です。(本当はダメだけどね)
つまりだ §
というわけで。
テレビの前にラジカセがあってママが来るというのは、基本的に過渡期の光景でしか無く、もっと洗練されたスタイルに移行したのだと思います。
ここで、ライン入力のあるラジカセがあると、ちょっと自慢ができたと思います。(うちの最初のラジカセはライン入力も短波も入るラジオ機能もあった)。しかし、しょせんはモノラル。すぐにステレオ化やクロームテープ等の新技術が出てきて古くなっていきます。しかも、そうやって録音していく行為が本質的にアホらしいことにも気付いていきます。テレビよりも生身の人間とコミュニケーションする方がずっと面白いということも分かってきます。この状況下で買う価値があるのはビデオデッキであり、それなりのステレオコンポであるわけです。更にCDの普及でテープを聞き返す手段も減っていきます。
その結果、テレビの前にラジカセがあってママが来るという光景だけが記憶され、テープはしまい込まれて2度と聞かれないことも多いのでしょう。
ということを思ったのは §
自分のテープを何本か発掘してデジタル化したとき、初代ヤマトの時代はCMカットして隙間にこれでもかといろいろな録音が詰まっているのに対して、ヤマト2の時代はCMカットもしないし、隙間にほとんど何も入っていないことに気づいたからです。かなり録音に対する熱意が落ちています。やはり、テレビ漫画のコレクションに対する過剰な思い入れに意味がないと分かってきたのでしょう。
そういう意味で、詰め込まれ、何回も上書きされたテープが残るのはやはりヤマト第1シリーズの時代の特徴なのかも。