2014年08月29日
トーノZEROアニメ論アニメクライシス1983total 941 count

プロローグ・ヤマト完結編とゴーバリアン

Written By: トーノ・ゼロ連絡先

ヤマト完結編の光と闇 §

 1983年のアニメ映画「宇宙戦艦ヤマト完結編」に関して、しばらく再評価を試みていたことがある。なぜなら、この映画には【こんな映画を作る気では無かった】という無念が見え隠れするからだ。実際にこの映画に関しては、上映開始後にも様々なバージョンの上映が行われて混乱していたという証言もあれば、公開終了後に改めてワイドな画面の70ミリ版が作成されていて、一部で上映されたという事実がある。ちなみに、初回上映版(35ミリ版)に複数のバージョンがあったという件は伝聞なので明確ではないが、70ミリ版が劇場で上映されたのは確かだ。それを見たからだ。

 さて、その成果の一部は宇宙戦艦ヤマト・天界譚 ~「ヤマト完結編」完結編~としてまとめてある。

 それはさておき、このヤマト完結編という映画には明確な問題が存在する。問題が存在するからこそ【宇宙戦艦ヤマトシリーズはこれで終わりです】という明確なメッセージ抜きには存在し得なかったとも言える。これが最後なら見に行こうという客はいただろうが、単純に1本の映画として見たときに問題は確かにある。

 たとえば、女神のように幻として現れたクイーン・オブ・アクエリアスは【この惑星に敵はいない】と断言したにも関わらずその直後に惑星の裏側で敵を発見する。惑星の裏側はこの惑星に当てはまらないのだろうか。それとも、ヤマトを襲ってくるディンギルは【敵ではない】と言いたいのだろか。

 このような展開が多発すれば観客は混乱するし、混乱すれば作品に入っていけず面白くはない。

 しかしながら、当然面白くない映画を作ろうと思って映画を作る者などはいない。このヤマト完結編という映画の場合、本来の意図はそうではないが、そうなってしまった……と解釈するのがおそらく妥当だろう。

 それはもっとかみ砕いて言うと、どういうことだろうか?

 作品が本来持っていたはずの【志】(こころざし)の高さが、末端まで浸透しなかったことを意味する。フィルムのあらゆる部分にあるべき志が浸透していないという意味もあるし、全てのスタッフに志が浸透しなかったとも言える。

 しかし、長年続いたシリーズの最終作なのに、【志】が浸透しないなどと言うことがあるのだろうか。

 それは【ある】としか言いようが無い。

 なぜなら、【宇宙戦艦ヤマト完結編】という映画は、1本の独立したテーマを持ち、それを描くために始まって終わるからだ。いくら、長年ヤマトシリーズがあるといっても、それとは違うテーマが提示され、それに対して表現が模索される。

 しかしながら、【最後のヤマト】という看板は独立した1本の映画としての【宇宙戦艦ヤマト完結編】に対するブレーキとなる。【最後のヤマト】という認識の世界では、これまでの蓄積や思い入れの集大成を盛り込もうと考えるのが普通だ。しかし、それでは独立した1本の映画にはならない。

 ここで2つの価値観が激突し、結果として映画は迷走する。

 つまり、これまで蓄積された【ヤマトとはこのように描けば良いもの】という考え方と、【この1本の映画ならではの新しいヤマト像を模索する】考え方が相互に拮抗して互いにブレーキを掛け合い、映画は迷走する。

 だが、もしも価値観の激突が起こらず、迷走しなかったとしたらこの映画はどこに行ったのであろうか。

 【宇宙戦艦ヤマト完結編】の本来のテーマは【戦艦大和の沖縄特攻】にある。だから、ヤマトは圧倒的に優勢な敵と戦い、最終的に艦長は自らヤマトと共に海に沈む。それを描くためには、沈むための海と、艦と一緒に沈む艦長がどうしても必要なのだ。この場合の、海も艦長も、モチーフとされた戦艦大和の沈没になぞらえて描くための必須のアイテムである。だから、宇宙でヤマトが沈む海を提供するために水の回遊惑星アクエリアスは必須の設定であり、ヤマトと運命を共にする艦長を描くためには沖田艦長の復活も必須だった。

 実際のフィルム上の表現として見れば、アクエリアスの描き方は中途半端であり、沖田艦長復活の理由も【脳死に至っていなかった】という苦しい言い訳になってしまい、盛り上がらない。

 しかし、それらはむしろ迷走の成果だ。迷走しなければ、もっと冴えた演出で解決されていただろう。

サイコアーマー・ゴーバリアンの光と闇 §

 さて、ここで話は飛ぶ。

 サイコアーマー・ゴーバリアンというテレビアニメがあり、とても評判が良くない。作画や演出が良くないからだ。マジンガーZのような顔を持ったロボットが出てくるが、直接の関係はない。そのロボットは超能力で作り出される設定であり、兵器としてのロボットを指向するリアルロボットとは相容れないが、かといってドロドロの人間ドラマが繰り返されて爽快感もない。

 しかしながら、筆者はこのアニメを放送当時高く評価していた。その意見は今でも変わらない。そのようにネット上で意見を表明したこともあり、驚いた当時のスタッフから直接メールを頂いたことまである。しかし、ゴーバリアンを高く評価するのはネットでは少数派の異端的な存在であろう。

 さて、最近になって、今の視点でゴーバリアンをもう1回見たいと思うようになった。うろ覚えの記憶で語っていてもあまりに無責任だからだ。

 その際、見てしまうと【なんだこの程度のものだったのか】と思うことを覚悟していた。そのような事例は多いのだ。放送当時はあれほど素晴らしアニメの思えたのに、成長した大人の目で見るとしおしおという経験は多いのだ。

 最近になって1枚ずつレンタルを始めたのだが、見てすぐにビックリした。

 予想以上に出来が良いのである。特にシナリオ面とキャラクター配置は絶品であり、エピソードによる上下はあるとはいえ、良いエピソードは120点を付けても良い。平均以上の優れた結果を出している。つまり、特に優れたアニメの1つと言っても過言ではない。

 音楽も特筆すべきだ。矢野立美とは、このあとでアニメ【シティーハンター】シリーズのBGMを手がけるかっこいい音楽を作る人なのだ。少々ヴァンゲリス風である点を減点するとしても音楽の質も高い。

 もちろん、作画や演出タイミングなどに問題はあるのだが、そのマイナス面を飲んですら見ていて面白いアニメなのだ。

 では、ゴーバリアンの本質とは何だろうか。

 ずばり、志の高さだろう。この志には間違った要素も含まれている。ヴァンゲリスの特定の音楽に似ている曲などはそれほど正しいとは思えないが、それでも若いスタッフは【それが志の高さ】だと信じて取り組んだに違いない。つまり、間違った面も含めて志は高い。そのための努力もしたのだろう。しかし、末端までその志は浸透しなかったのだろうと思う。見ていると、スタートラインの水準は高いのに、作業工程が進むにつれて作業が杜撰になって行く様子が見て取れる。作画の荒れとは、そのような問題の帰結であり、元のデザインの優秀さを(勘違いを含めて)荒れた画面の奥に見て取ることができる。

 人型ではない敵メカ、左右非対称の敵メカなど、よく見ていくと見どころは多い。

ヤマト完結編とゴーバリアンの接点 §

 さて、全く無関係に見える【宇宙戦艦ヤマト完結編】と【サイコアーマー・ゴーバリアン】という2つのアニメの話を長々と書いたのには理由がある。

 実は全く別個の問題として考えていたこの2つのアニメだが、あるとき気づいてしまったのだ。

 【宇宙戦艦ヤマト完結編】は1983年の映画だが、【サイコアーマー・ゴーバリアン】は1983年のテレビアニメなのだ。そして、両者には志の高さを画面に適切に表現することに失敗したという共通の特徴がある。

 だが、話はそれで終わらなかった。

 なぜなら、【志の高さを画面に適切に表現することに失敗した】という特徴を持つアニメ作品が、1983年前後にはゴロゴロしていると気づいたからだ。そして、ヤマト完結編のように安定した路線に見えたアニメが終わってしまう事例も多発していた。

【1983アニメ映画決戦、ヤマト完結編、クラッシャージョウ、幻魔大戦に続く】

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2014年09月03日
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エピローグ・越えられない壁の問題
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2014年09月02日
トーノZEROアニメ論アニメクライシス1983
【番外】コミックに見る超えられない壁の問題
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細田守クライシス・ジブリの出現と終焉の謎
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ヤマト2199の謎とアニメクライシス21Cの勃発
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2014年08月31日
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1983年前後に何が起こったのか
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1983アニメ映画決戦、ヤマト完結編、クラッシャージョウ、幻魔大戦
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ヤマト完結編の光と闇 §

 1983年のアニメ映画「宇宙戦艦ヤマト完結編」に関して、しばらく再評価を試みていたことがある。なぜなら、この映画には【こんな映画を作る気では無かった】という無念が見え隠れするからだ。実際にこの映画に関しては、上映開始後にも様々なバージョンの上映が行われて混乱していたという証言もあれば、公開終了後に改めてワイドな画面の70ミリ版が作成されていて、一部で上映されたという事実がある。ちなみに、初回上映版(35ミリ版)に複数のバージョンがあったという件は伝聞なので明確ではないが、70ミリ版が劇場で上映されたのは確かだ。それを見たからだ。

 さて、その成果の一部は宇宙戦艦ヤマト・天界譚 ~「ヤマト完結編」完結編~としてまとめてある。

 それはさておき、このヤマト完結編という映画には明確な問題が存在する。問題が存在するからこそ【宇宙戦艦ヤマトシリーズはこれで終わりです】という明確なメッセージ抜きには存在し得なかったとも言える。これが最後なら見に行こうという客はいただろうが、単純に1本の映画として見たときに問題は確かにある。

 たとえば、女神のように幻として現れたクイーン・オブ・アクエリアスは【この惑星に敵はいない】と断言したにも関わらずその直後に惑星の裏側で敵を発見する。惑星の裏側はこの惑星に当てはまらないのだろうか。それとも、ヤマトを襲ってくるディンギルは【敵ではない】と言いたいのだろか。

 このような展開が多発すれば観客は混乱するし、混乱すれば作品に入っていけず面白くはない。

 しかしながら、当然面白くない映画を作ろうと思って映画を作る者などはいない。このヤマト完結編という映画の場合、本来の意図はそうではないが、そうなってしまった……と解釈するのがおそらく妥当だろう。

 それはもっとかみ砕いて言うと、どういうことだろうか?

 作品が本来持っていたはずの【志】(こころざし)の高さが、末端まで浸透しなかったことを意味する。フィルムのあらゆる部分にあるべき志が浸透していないという意味もあるし、全てのスタッフに志が浸透しなかったとも言える。

 しかし、長年続いたシリーズの最終作なのに、【志】が浸透しないなどと言うことがあるのだろうか。

 それは【ある】としか言いようが無い。

 なぜなら、【宇宙戦艦ヤマト完結編】という映画は、1本の独立したテーマを持ち、それを描くために始まって終わるからだ。いくら、長年ヤマトシリーズがあるといっても、それとは違うテーマが提示され、それに対して表現が模索される。

 しかしながら、【最後のヤマト】という看板は独立した1本の映画としての【宇宙戦艦ヤマト完結編】に対するブレーキとなる。【最後のヤマト】という認識の世界では、これまでの蓄積や思い入れの集大成を盛り込もうと考えるのが普通だ。しかし、それでは独立した1本の映画にはならない。

 ここで2つの価値観が激突し、結果として映画は迷走する。

 つまり、これまで蓄積された【ヤマトとはこのように描けば良いもの】という考え方と、【この1本の映画ならではの新しいヤマト像を模索する】考え方が相互に拮抗して互いにブレーキを掛け合い、映画は迷走する。

 だが、もしも価値観の激突が起こらず、迷走しなかったとしたらこの映画はどこに行ったのであろうか。

 【宇宙戦艦ヤマト完結編】の本来のテーマは【戦艦大和の沖縄特攻】にある。だから、ヤマトは圧倒的に優勢な敵と戦い、最終的に艦長は自らヤマトと共に海に沈む。それを描くためには、沈むための海と、艦と一緒に沈む艦長がどうしても必要なのだ。この場合の、海も艦長も、モチーフとされた戦艦大和の沈没になぞらえて描くための必須のアイテムである。だから、宇宙でヤマトが沈む海を提供するために水の回遊惑星アクエリアスは必須の設定であり、ヤマトと運命を共にする艦長を描くためには沖田艦長の復活も必須だった。

 実際のフィルム上の表現として見れば、アクエリアスの描き方は中途半端であり、沖田艦長復活の理由も【脳死に至っていなかった】という苦しい言い訳になってしまい、盛り上がらない。

 しかし、それらはむしろ迷走の成果だ。迷走しなければ、もっと冴えた演出で解決されていただろう。

サイコアーマー・ゴーバリアンの光と闇 §

 さて、ここで話は飛ぶ。

 サイコアーマー・ゴーバリアンというテレビアニメがあり、とても評判が良くない。作画や演出が良くないからだ。マジンガーZのような顔を持ったロボットが出てくるが、直接の関係はない。そのロボットは超能力で作り出される設定であり、兵器としてのロボットを指向するリアルロボットとは相容れないが、かといってドロドロの人間ドラマが繰り返されて爽快感もない。

 しかしながら、筆者はこのアニメを放送当時高く評価していた。その意見は今でも変わらない。そのようにネット上で意見を表明したこともあり、驚いた当時のスタッフから直接メールを頂いたことまである。しかし、ゴーバリアンを高く評価するのはネットでは少数派の異端的な存在であろう。

 さて、最近になって、今の視点でゴーバリアンをもう1回見たいと思うようになった。うろ覚えの記憶で語っていてもあまりに無責任だからだ。

 その際、見てしまうと【なんだこの程度のものだったのか】と思うことを覚悟していた。そのような事例は多いのだ。放送当時はあれほど素晴らしアニメの思えたのに、成長した大人の目で見るとしおしおという経験は多いのだ。

 最近になって1枚ずつレンタルを始めたのだが、見てすぐにビックリした。

 予想以上に出来が良いのである。特にシナリオ面とキャラクター配置は絶品であり、エピソードによる上下はあるとはいえ、良いエピソードは120点を付けても良い。平均以上の優れた結果を出している。つまり、特に優れたアニメの1つと言っても過言ではない。

 音楽も特筆すべきだ。矢野立美とは、このあとでアニメ【シティーハンター】シリーズのBGMを手がけるかっこいい音楽を作る人なのだ。少々ヴァンゲリス風である点を減点するとしても音楽の質も高い。

 もちろん、作画や演出タイミングなどに問題はあるのだが、そのマイナス面を飲んですら見ていて面白いアニメなのだ。

 では、ゴーバリアンの本質とは何だろうか。

 ずばり、志の高さだろう。この志には間違った要素も含まれている。ヴァンゲリスの特定の音楽に似ている曲などはそれほど正しいとは思えないが、それでも若いスタッフは【それが志の高さ】だと信じて取り組んだに違いない。つまり、間違った面も含めて志は高い。そのための努力もしたのだろう。しかし、末端までその志は浸透しなかったのだろうと思う。見ていると、スタートラインの水準は高いのに、作業工程が進むにつれて作業が杜撰になって行く様子が見て取れる。作画の荒れとは、そのような問題の帰結であり、元のデザインの優秀さを(勘違いを含めて)荒れた画面の奥に見て取ることができる。

 人型ではない敵メカ、左右非対称の敵メカなど、よく見ていくと見どころは多い。

ヤマト完結編とゴーバリアンの接点 §

 さて、全く無関係に見える【宇宙戦艦ヤマト完結編】と【サイコアーマー・ゴーバリアン】という2つのアニメの話を長々と書いたのには理由がある。

 実は全く別個の問題として考えていたこの2つのアニメだが、あるとき気づいてしまったのだ。

 【宇宙戦艦ヤマト完結編】は1983年の映画だが、【サイコアーマー・ゴーバリアン】は1983年のテレビアニメなのだ。そして、両者には志の高さを画面に適切に表現することに失敗したという共通の特徴がある。

 だが、話はそれで終わらなかった。

 なぜなら、【志の高さを画面に適切に表現することに失敗した】という特徴を持つアニメ作品が、1983年前後にはゴロゴロしていると気づいたからだ。そして、ヤマト完結編のように安定した路線に見えたアニメが終わってしまう事例も多発していた。

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