(画像公開ポリシー)
本当に完全な「完璧」はこの世にあり得ない。科学が「完璧」を信じたのは19世紀の昔の話。しかし、「完璧」の存在を信じる者達は後を絶たない。そして、信じた者達には漏れなく苦悩と苦痛がプレゼントされる。
トーノZERO, THE BELKANアニメ感想家(笑)のアニメ感想を参ります。
今日の妖逆門の感想。
サブタイトル §
第32話 『修と鬼仮面』
あらすじ §
修は、子供の頃から完璧な子供でした。しかし、ちょっとした油断から愛犬のゼロを死なせてしまい、それ以来完璧になりたいと思いながら、それを実現する方法が分からずにいました。
修は、完璧を求める心によって、陰の力を手に入れます。上位召還の玉も手に入れます。
そして、土の門の番人を名乗り、三志郎と清に対撃を挑みます。
しかし、陰の力を操れていない修は、身体から力が抜け、対撃を続けられなくなります。なおも戦う意志を持つ修を、三志郎と清が助け起こします。
黒ねいどは、このステージがこれで終わりだと宣言します。三志郎、清、修がクリアした最後の者達で、まだクリアできていないプレイヤーは失格になると言います。
感想 §
修の挫折は、誰にでも起こりうることです。
しかし、普通の人間はそれを乗り越えます。
修がそれを乗り越えられないのは、「完璧」という幻想に取り付かれているからでしょう。
「完璧」が幻想だというのは、修は完璧ではないという意味ではなく、そもそも完璧な人間などこの世にあり得ないということです。
しかし、一見して「完璧」に見える状況は確かにあります。それは、ある短い期間に関しては、特に破綻が存在しないかのように見える可能性があるからです。つまり、それは一時的に発生する特異な状況でしかないわけです。永遠に続くことはあり得ません。
それゆえに修の挫折とは、必然であったことが分かります。
問題は、必然的に訪れた挫折が、愛犬ゼロの犠牲というショッキングな事件と重なったことなのでしょう、たぶん。それゆえに、挫折を挫折として受け入れることができず、いつまでも「完璧」という幻想にすがりついているのかもしれません。
本来当たり前のことが、当たり前として受け入れられないことが修の不幸と言えますね。
今回の一言 §
しかし、清のことを異性として意識してしまっているあたり、修にもまだまだ見込みがありますね。妖逆門の主要登場人物は、みんな良い奴です。見ていて気持ちよいですね。