玉川上水下高井戸村分水にこだわっている話は「杉並区立郷土博物館・写真展「レンズの記憶 杉並、あの時、あの場所」」に書きました。まずこちらをお読み下さい。
さて、下高井戸村分水が玉川上水からどこで分かれているかは上の話題に書いた通り、良く分かりません。しかし、以下の地図(戦後米軍が航空写真を元に作成した地図という)を元にして、分水が大きく玉川上水から分かれる箇所なら分かります。
というわけで、今日は散歩の途中でこの位置を確認に行きました。
今日の移動経路 §
実はこの先の道は歩いたことがあります(たぶん塚山公園に行った帰り)。不思議な道があるものだな……と思った記憶があります。なので、今日はここで打ち切っています。
感想・ムードだけならほぼ確定 §
実際に歩いた道は、このあたりでかつて水路だった裏道とよく似たムードを持っていました。
ムードだけなら、ほぼ確定と言って良いと思います。(あくまでムードだけ)
ちなみに、昭和40年代ぐらいに、下高井戸には通称「どぶ板」という道がありました。水路に板状のコンクリートを左右に渡して蓋をした道です。ここがかつて水路だったことは間違いないでしょう。どの道が「どぶ板」であったかは、かなり覚えています。それらの道と、今日歩いた道のムードが似ていると感じました。
ちなみに、記憶にある「どぶ板」の経路と、上記の戦後の地図に描かれた水路の位置はよく一致しています。今日歩いた部分は、記憶にある「どぶ板」の上流部ということになります。
補足 §
上水の分水が「どぶ」なのか?という疑問はあり得ると思いますが、その答は簡単です。
1965年以降、玉川上水の小平監視所から下流は上水としては使用されなくなったのです。つまり、昭和40年代(1965年~1974年)というのは、まさにこのあたりの玉川上水が役割を終えた後の時代になるのです。