今日は何の目的もなく永福図書館まで行って、何気なく書棚を見ていましたが、意外な場所に玉川上水関連の書籍が並んでいるのに気付きました。
中に以前見た問題の本もありました。
- 図解・武蔵野の水路 -玉川上水とその分水路の造形を明かす- 渡部一二 東海大学出版会
さて。
以前この本を見たとき、私の頭の中には「玉川上水下高井戸分水」のことしかありませんでした。なので、それを記述したページ以外はほとんど見ていません。
しかし、その問題は既に一応の決着を見ているので、今日はそれ以外のページもいろいろ眺めました。
その結果として、ふと気付きました。
この著者は、割と広範囲かつ豊富な参考文献を調べています。
しかし、下水道台帳は見ていません。
では、なぜ下高井戸分水の終点を向陽橋と確定しているのでしょうか?
(私は下水道台帳から向陽橋合流説の根拠らしいものを見いだした)
そこでヒントになったのは、実際に分水跡を管理している地方自治体の部署に問い合わせをしたが苦労したという話です。
向陽橋を終点と認識する情報は、雨水の排水路を含む下水道の管理部門から得られた可能性があります。そのような部署に問い合わせを行ったとすると、その際のやり取りはどのような内容が想定されるでしょうか?
まず、問い合わせを受けた下水道の管理部門の担当者は、問い合わせの趣旨を正しく理解できない可能性が十分にあり得ると考えます。彼の職務は下水道の維持管理にあり、彼が受け取る問い合わせは通常過去と現在の下水道に関するものだと考えられます。しかし、「玉川上水下高井戸分水」は上水の分水であり、いかなる意味でも下水道とは異質なものです (末期において下水道的な役割を果たしていたにせよ)。そして、少なくとも私が調べた範囲で言えば、「玉川上水下高井戸分水」と「玉川上水下高井戸分水跡地に存在する現在の下水道」の経路は向陽橋付近においてイコールではありません。
ここで、渡部一二さんは「玉川上水下高井戸分水」について質問したにも関わらず、実際に返された回答は「玉川上水下高井戸分水跡地に存在する下水道」についてであったかもしれません。そして、回答を行った者はその差が何かを理解できず、「玉川上水下高井戸分水」についての回答としてそれを答えた可能性も考えられます。
……最終的には、渡部一二さんに問い合わせないと確実なことは分からないことではありますが。
感想 §
やはり、用もないのに図書館に行く。用もないのに本を開いて中を見るのは重要なことですね。