2005年03月07日
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赤松健とクリエイション論 第6回 「つらいことが起こらないドラマ」

Written By: 遠野秋彦連絡先

つらいことが起こらないドラマ §

 常に新しいことにチャレンジし続けるだけでは、消費者の支持は得られない。

 ここで注目されるべきは、以下の文章である。

実際の社会ってつらいことが多いでしょう。特に現代はあまりいいニュースも少ないじゃないですか。だから漫画の中ぐらいは絶対に嫌なことが起きなくてもいいんじゃないでしょうか。出てくる女の子はかわいくて、みんな主人公が好きで。読者には現実で苦労したぶん、そこで楽しんでもらう。

 ここで述べられていることは、極めて前向きで健全な通俗性と現実逃避の肯定である。

 私が、これを読んで「ああっ!」と思ったのは、このような主張そのものが私の主張と重なるためである。

 つまり、現実がこれほど不幸であるのに、それ以上不幸な話をフィクションとして見せてどうするのよ、ということである。

 たとえば、異世界冒険小説のイーネマス!を書いた時には、最初からこれは「中年のための現実逃避小説である」と規定して取り組んだ。主人公は、20世紀に死んでから異世界イーネマスに転生し、そこで奴隷にまで身分を落としながら最後には王女様と結ばれて国王にまで上り詰める。現在連載しているメイドのプリンセス メイディー・メイは、本来悪趣味と評される余地を多分に含むオタクのメイド趣味を全肯定するという前提で書かれている。もちろん、それを好意的に受け止めるか否かは読者次第であるが、少なくとも著者はオタクとそのメイド趣味に対する悪意を一切持たず、むしろ好意を込めてオタクが気持ちよく楽しめる作品を意図して書いている。どちらの事例も、極めてご都合主義的かつ通俗的であるが、むろん、それこそが読者にとっては良いものであるという確固たる信念の上に成立したものである。つまり、そのような作品を生み出すことこそが、前向きの取り組みであると考えたわけである。

 実際、「ネギま!」も基本的なストーリーラインは単純である。頑張る男の子、可愛い女の子達、そして、分かりやすく明瞭な敵。通俗的で非常に分かりやすい。

 その通俗的な分かりやすさは、実は宮崎駿にも共通する特徴である。通俗的であることを肯定し、むしろ芸術的であることに背を向けるのが宮崎駿という人物であるらしい……。

 このような通俗性の肯定という共通点を見いだせることは興味深い。そして、私を別にすれば赤松健も宮崎駿も、多くの客達からの支持を得ていることは、非常に特筆すべきことと言えるだろう。

目次 §

 注: 赤松健とクリエイション論には問題提起から結論に至る文脈、コンテキストがあります。つまり、それまでに行われた説明について読者は分かっているという前提で文章が組み立てられています。そのため、第1回から順を追って読まない場合、内容が理解できないか、場合によっては誤解を招く可能性があります。

表紙

赤松健とクリエイション論 第1回 「問題提起・なぜ舞-HiMEはネギま!を恐れるのか」

赤松健とクリエイション論 第2回 「第3の登場人物『宮崎駿』」

赤松健とクリエイション論 第3回 「重要な手がかりとなる赤松健インタビュー」

赤松健とクリエイション論 第4回 「組み合わせの創作法」

赤松健とクリエイション論 第5回 「新しいことにチャレンジする」

赤松健とクリエイション論 第6回 「つらいことが起こらないドラマ」

赤松健とクリエイション論 第7回 「ずば抜けた成功者の条件とは」

赤松健とクリエイション論 第8回 「『舞-HiME』は成功者の条件を満たすか?」

赤松健とクリエイション論 最終回 「将来について」