今、とても時間がないのですが、メモ程度に書いておきます。
発端 §
実は、何日か前に「Javaアプリケーションコンサルタント」の人材紹介と称して、私を企業に売りたいという「勘違いした」メールが来ています。
どうも、この手のメールはJava関連であることが多いように感じられます。
つまり、他の世界と比較して、Java界は慢性的に優秀な人材が不足している……という状況があるように思います。
その理由は何か、についての「敗北自己規定者」の切実なるニーズは、明らかに実行できない主張を流布させるか?で述べた「敗北自己規定者」の概念を援用すれば理由付けが可能であるというアイデアのメモです。
なお、人材不足も単なる印象に過ぎず、「敗北自己規定者」の概念も何ら根拠のないものであり、その上に立脚するこの文章も明瞭な根拠のない論であることをお断りしておきます。つまり、信じないのが知的な態度です。ここで述べるのは、全く別個に抱いた2つの考えに整合性があるというアイデアのみです。
「敗北自己規定者」とは何か §
「敗北自己規定者」とは、コンピュータに関わる者達を「先行者」「追従者」に分類したとき、「追従者」の中の特定の条件を見なす者達です。
「敗北自己規定者」とは、「実際には負けていないにもかかわらず」時代に取り残されるという焦りから自己を「先行者」に「敗北した」あるいは「敗北しつつある」と自己規定した者を示します。
それにも関わらず、彼らが敗北しないためには、「先行者」に優越する技術や思想が必要とされます。
Javaとは、そのような意味で、「先行者」に優越する技術や思想として1990年代末期に「敗北自己規定者」によって支持されたものと考えられます。(詳細は略)
「優秀な人材」とは何か §
ここでは、「優秀な人材」とは「相応の知識と経験を有し、問題解決能力を持つと周囲から評価される技術者」とします。
「優秀な人材」は「敗北自己規定者」であるか? §
「優秀な人材」は「先行者」「追従者」「敗北自己規定者」のいずれに該当するでしょうか?
「敗北自己規定者」とは、「実際には負けていないにもかかわらず」自己を「敗北した」あるいは「敗北しつつある」と自己規定した者を示すために作った言葉です。
それに対して、「優秀な人材」とは周囲から優秀であると評価される技術者です。
周囲から評価されているにも関わらず、敗北したと自己規定するのは不自然です。おそらく、大多数の「優秀な人材」は「敗北自己規定者」ではないと考えるのが妥当でしょう。
逆に言えば、「相応の知識と経験を有する」という条件からすれば、大多数の「優秀な人材」は「先行者」に属すると考えるのが妥当でしょう。
矛盾の発生 §
Javaの持つ思想性の一部は、紛れもなく「先行者」の優位性を否定し、「先行者」を駆逐する機能性を持っています。
しかしながら、Javaも実体はプログラム開発のための1言語である以上、「先行者」を駆逐した空白領域でJavaの王国を築くためには、Javaによるシステム開発を行わねばなりません。ある程度以上の規模のシステムを開発することは困難であり、必然的に知識と経験を有する優秀な人材を必要とします。
ところが、「優秀な人材」の多くは「先行者」であり、Javaの持つ思想性の一部は「先行者」を排斥する機能性を持ちます。
したがって、「優秀な人材」がJavaに関わると排斥される圧力を感じ、不快になる可能性があり得ます。そのような不快感ゆえに、「優秀な人材」はJava界に定着しない可能性が考えられます。また、事前にその不快感を察知できれば、そもそもJava界に行こうとはしないかもしれません。
従って、Java界は必要とされる「優秀な人材」を充足させることが構造的に困難となります。