第2回ですが、予定を変更して日大文理学部百周年記念館前の暗渠が、下高井戸の暗渠常識からいかにあり得ない存在かを書きます。もしかしたら、全3回が全4回に伸びる可能性も。
用語について §
今回より、「ドブ板」という用語に変わって、「コンクリート板暗渠」という用語を使います。正式に何と呼ぶのか分からないのですが、「ドブ板」の呼称を世田谷に対して使うこと、また現在進行形の暗渠に使うことは大いに誤解を招く可能性があると分かったので、別の用語を使います。
お断り §
偉そうに書いていますが、下高井戸の水路研究もまだ途上です。間違い等あればぜひご連絡を。ちなみに、自力で解き明かしたいとは思っていません。正解を教えていただければ最高です。
日大文理学部百周年記念館前の暗渠 §
日大文理学部百周年記念館前のコンクリート板暗渠です。以前はどうもピンと来ていませんでしたが、世田谷の暗渠常識を把握した今では、この暗渠の前後の経路も明瞭に把握できるようになりました。それはさておき、これには以下の特徴があります。
- 車道と歩道が並行しており、コンクリート板暗渠は歩道部分を構成している
- この道は古道であり、現在も日大への通学という人通りの多い役割を持った主要な道路
- 歩道部分は、長年コンクリート板暗渠状態が続いていて、かなりの痛みが見られる。しかし、通常の舗装路に置き換える動きは今のところ見られない
さて、あらためてこれを見た感想は、「下高井戸の暗渠常識ではどこからどう見てもあり得ない暗渠!」というものでした。
あり得ない暗渠であるから、存在がどうしてもピンと来なかったという事情はありそうです。
では、下高井戸の暗渠常識とは何でしょうか?
下高井戸の典型的水路跡 §
下高井戸で、確認できる主要な水路跡を以下にまとめます。
大きな地図で見る
位置づけが特殊である玉川上水を除外し、確認できないが存在が推定されるものを追加すると、以下のようなバリエーションに分類できます。
- 舗装された水路跡
- コンクリート板暗渠状態の水路跡
- 断片的に存在する水路跡の延長線上として、一般道路の下に存在すると推定される水路跡
このうち「一般道路の下に存在すると推定される水路跡」は明瞭な証拠がないので論じる対象にできません。「コンクリート板暗渠状態の水路跡」は断片的に残存しただけであり、長さも短く典型的な下高井戸の水路跡とは言い難い印象です。よって、「舗装された水路跡」を典型的な下高井戸の水路跡と捉え、より詳しく見ていこうと思います。
これが下高井戸の水路跡 §
この写真は以下の場所から西に向かって撮影したものです。
この写真には、下高井戸の水路跡の典型的な特徴が全て現れています。
- かつてはコンクリート板暗渠であったが、現在は舗装されている
- 外部との接続点には車を通さない柵がある
- しかし、人が入ることを妨げるものは何もない
- 他の道路と交差することはあっても隣接することはなく、水路跡が他の道路の歩道の役割を担うこともない
- 写真左側は家1軒を挟んで別の一般道路があり、道路として機能が重複しているが、これを1つにまとめる動きは見えない。一般的には水路跡の近くに、家1軒~数軒を挟んで別の一般道があるのが典型的に見られるパターン (極端なところでは、水路跡の道の左右の両方に、家1軒を挟んで別の道がある箇所もある(後述)が、それでも道を統合する動きは見えない)
- 表通りではなく裏通りのムードを持つ
さて、これと最初に見た日大文理学部百周年記念館前の暗渠を比較すると、決定的に異質であることが分かると思います。
百周年記念館前の暗渠はなぜあり得ないのか §
百周年記念館前の暗渠は、上記の下高井戸の水路跡の典型的な特徴から見ると、以下のように非常に多くの「あり得ない」特徴を持ちます。
- 一般道から家1軒~数軒を離して存在するはずなのに、隣接している
- 単独の道路を構成するはずなのに、他の一般道の歩道扱いされている
- コンクリート板暗渠状態は舗装により解消されているはずなのに、未だに解消されていない
- 裏通りのムードを持つはずなのに、主要な道路に面している
つまり、下高井戸の常識を持って百周年記念館前の暗渠を見ると、それはとても水路跡(暗渠)には見えないことになります。
しかし、ここはどう見ても暗渠です。
なぜ暗渠であるのに暗渠に見えないのでしょうか?
その答えは簡単で、「常識が違う」からです。
世田谷の暗渠を下高井戸の常識で見る行為が間違っていたのです。「あり得ない」という叫びは、叫んだ本人の間抜けさを示す叫びだったのです。
この項のまとめ §
一般道と暗渠がセットになり、暗渠が歩道を構成する道路は世田谷区内では典型的に見られます。私自身、上北沢駅の近くから、羽根木公園近くまで、かなり広範囲にいくつも見ています。ところが、下高井戸にはこの組み合わせの道路が1つもありません。一般道と水路跡が非常に近い位置で並行している箇所はいくつもありますが、それらをまとめて1つの道路として扱う状況は全く見られません。たまに、一般道と水路跡が接触している箇所がいくつかありますが、長距離並行して設置されることはなく、水路跡が歩道の役割を背負うこともありません。
更に、道路として実際に利用されている部分は全て舗装されていることや、原則として全ての水路跡に立ち入りを阻むものはない(通り抜けできないコンクリート板暗渠については途中から奥に入れない事例はあるが)、といった点も、世田谷とは全くことなります。
次回予告 §
北沢側支流で最長のコンクリート板暗渠はどこか?
その答えは、どうやら百周年記念館前ではないようです。
次は、私がびっくり腰を抜かした(比喩的表現で実際に腰が抜けたわけではないが)話を書きます。
付録・家1軒挟んで水路跡の左右に一般道路がある例 §