君はいくつ知っているか・京王と帝都の歴史とトリビア100+
Amazon.co.jp


ハイキングの歴史【改訂版】: 登山、行軍、そして探勝
Amazon.co.jp


京王帝国の興亡: 激動の多摩丘陵百年史
Amazon.co.jp


プールの歴史: 井の頭の天然池ブール・多摩川遊泳場・そして金子の婦人専用プール
Amazon.co.jp


多摩・八王子・拡張武蔵野(エクステンシノ): 国木田独歩没後111周年企画
Amazon.co.jp


カルピス飲んで朝ご飯・昭和10年8月井の頭公園のカルピス朝飯会
Amazon.co.jp


謎に包まれた琵琶滝駅・高尾山ケーブルカーの中間駅は本当にあったのか?
Amazon.co.jp


高尾山駅ミステリー・謎に包まれたもう1つの【高尾駅】は実在したか?
Amazon.co.jp


野球は巨人・キャラメルは紅梅・謎は杉並大工場の所在地
Amazon.co.jp


玉電ミステリー・瀬田停留所が2つある!?
Amazon.co.jp


歴史ノンフィクション・最も短い分水のミステリー 玉川上水下高井戸分水 (PDミニブックシリーズ)
Amazon.co.jp


河川・水路跡の探し方 ~徒歩圏内で探し出すあなたの街の歴史の神秘~
Amazon.co.jp

2008年08月16日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記total 5056 count

下高井戸と世田谷・異質なる暗渠文化 最終回 『異質さを意識されざる隣人』

Written By: 川俣 晶連絡先

 今回は、「下高井戸と世田谷・異質なる暗渠文化」のシリーズの最終回として、話をまとめましょう。しかし、まずは昔話から。

松沢小学校に通うと思っていた §

 下高井戸駅近くの世田谷線線路の近くに松沢児童館があります。ここには以前幼稚園があり、私はそこに通っていました。これが下の地図のB点です。この幼稚園の園児が遊びに使う定番の公園は、映画「ユンカースカムヒア」にも出てきた赤松公園です(C点)。しかし、私の家からは逆方向になり、さすがに幼稚園児の足で行くのはつらいため、実際にここで遊んだ機会はほとんどありません。

 さて、この幼稚園の園児達は、卒園すれば小学校に上がります。園児達は当然のように、近くにある松沢小学校(D点)に通うことを前提に話をしていました。そして、実際に園児の大多数はここに通うようになりました。それにも関わらず、私は高井戸第三小学校(E点)に通うことになりました。

 さて、私の身に起きたことはいったい何でしょう?

 幼稚園児の私が考えたことは以下のような内容だったと思われます。

  • 下高井戸を代表する場所は下高井戸駅(A点)である
  • 下高井戸駅(A点)の周辺には商店があり、それらは下高井戸の商店街である
  • 幼稚園(B点)、赤松公園(C点)、松沢小学校(D点)は、下高井戸の商店街に隣接している
  • 従って、これらは全て下高井戸という場所の範疇に含まれる
  • 自分の住所も下高井戸である
  • 従って、下高井戸在住の幼児である自分が通うであろう小学校は、同じ下高井戸に含まれる松沢小学校となるのが当然である

 では、本当のところはどうだったのでしょうか?

  • 下高井戸駅(A点)は杉並区下高井戸ではなく、世田谷区松原にある
  • 下高井戸駅周辺の商店街のかなりの割合も、杉並区下高井戸ではなく世田谷区松原や世田谷区赤堤にある
  • 幼稚園(B点)、赤松公園(C点)は完全に世田谷区赤堤にある
  • 松沢小学校(D点)は下高井戸に近いが、所在地は完全に赤堤である
  • 杉並区下高井戸在住の子供が世田谷区赤堤の小学校に通うことは、通常無い (八幡山の方では杉並区の子供が世田谷区の小学校に通う事例があったようだが、少なくともこのあたりでは聞かない)

 しかし、これを子供に分かれというのは無理があるでしょう。それどころか、大人であってもこれが分かるか難しいところです。何しろ、「下高井戸駅」の商店街に隣接する小学校が「下高井戸」の子供が通う対象ではない、というのは、大人でも理解に苦しむねじれた状況でしょう。

模型の船を浮かべる水面がない!! §

 昭和46年(1971年)、高井戸第三小学校(高三小)に通うようになった私は、クラスの友達と遊ぶために、学区域の全域を行動範囲に拡大していきます。これは、実質的に下高井戸の全域を行動範囲に収めたこととほぼ等価です。ちなみに、この時点で高三小の学区域は下高井戸全域を含んでいたはずです。その後、下高井戸5丁目が新設の高井戸東小の学区域に分割され、クラスメートの一部とお別れとなりました。更に、卒業後に永福南小が出来、下高井戸1丁目の一部と2丁目はそちらに通うようになりました。しかし、私が入学した時点では全て高三小の学区域だったはずです。

 さて、この当時の流行ものとしては、プラスチックモデル(プラモデル)があります。また、自分で素材から作る模型工作も盛んだったと思います。これらの模型の中で人気のあった題材の1つが船です。船は比較的簡単なメカニズムで走行させることができると同時に、作り方が悪いと沈没するというスリルもあります。更に、当時の子供達に絶大な人気のあった水中モーターというアイテムを使うと、ともかく浮かぶものさえ作ればそれを取り付けて走行可能になると言う魅力もありました。その後、類似商品として空中モーターも発売されていますが、扱いが難しく、しかも高価であり、あまり普及はしなかったように記憶します。だから、やはり水中モーターであり、船の模型なのです。

 そのようなわけで、船のプラモデルや、カマボコ板や紙やプラ版や発泡スチロールから作り起こした船をいくつも造りましたが、そこで1つの問題に遭遇したのです。それは、それらの船を浮かべる場所が下高井戸には存在しないという問題です。

子供が自由に使え、ある程度の広さを持った水面が下高井戸には存在しなかったのです!

 当時は単に「無い」という認識だけでしたが、今は歴史的な知識を使って状況を説明できます。

  • 玉川上水は埋められてしまった (もっとも、玉川上水は開渠時代も子供が遊びで船を浮かべられるような生やさしい水路ではなかった)
  • 神田川はもともと子供でも気楽に水に親しめる川だったが、流路を付け直すと共に洪水対策で高く切り立った護岸を設置して、子供が水遊びのできる川ではなくなっていた
  • 玉川上水下高井戸分水を始めとする小水路網は、生活排水に汚染されてどぶ川と化していたが、この時点では全て一律にコンクリート板で蓋をされ、水を見ることができなくなっていた。これらは、下高井戸の住人からはドブ板と呼ばれる裏道と認識されていた

 つまり、時計の針を少し巻き戻せば(少なくとも昭和30年代前半ぐらいまで巻き戻せば)、船模型遊びができる水面は下高井戸にいくつもあったはずなのです。しかし、船の模型で遊びたいと思った私が、そのための水面を得ることはありませんでした。

 ちなみに、まだ小学校の在学中だったと思いますが、杉並区2-27に噴水のある公園ができ、これで船模型遊びができると喜んだのですが、噴水のある池に模型の船を浮かべると管理人から怒られました。結局、パラダイスにはなりませんでした。現在、この公園に噴水はありません。また、西の隣には現在もコンクリート板暗渠が残存しています。

下高井戸の景観 §

 下高井戸の現在の景観は、関東大震災後に住宅街としての整備が始まり、神田川の流路付け替えと整備、玉川上水の埋め立てを経て、玉川上水第三公園の完成(昭和46年=1971年)と、首都高速4号線の完成(昭和48年=1973年)で、現在の基本形が成立したと考えます。それ以後は、ドブ板が舗装路に変わったり、建物が建て変わったり、公園の球技場が撤去されたり、小さな変化はいくつもありますが、基本的な構造が変わるような変化はそれ以後起きていないと感じます。

世田谷の景観 §

 しかし、世田谷に足を踏み入れると、まったく違う状況が見えてきます。

 日大文理学部の南の方にある左内弁財天を最初に見たのは2005年のことです。ところが数年後に再び訪問してみると、手前に見たことのない真新しい立派な道路が出来ていて目を白黒させました。

 ちなみに、このB点の左右を結ぶ道は、Google Mapsの最初の版には存在していなかったものです。それほど新しい道です。

 そして、世田谷区内で自分が遭遇した「地図にない新しい道」はこれ1つではありません。

 つまり、世田谷の景観は現在進行形で変化しつつあるわけです。

 更に言えば、なぜ変化を要するのかもよく分かります。世田谷の道はプロでも迷うほど分かりにくい、と言われることがありますが、明らかに道路網の整備がまだ不十分である箇所があちこちに見られます。確かに下高井戸周辺の杉並側にもそのような場所はあるのですが、世田谷はスケールが違います。それらを解消するには、どうしても大々的な道路の建設を続ける必要があると感じます。

 そして、ようやく分かってきたことは、このような傾向は水路網に対しても適用されるということです。

 下高井戸の水路網は既に決着し、過去のものになりました。しかし世田谷は違います。

異質なる両者 §

 ここで最終的なまとめに入りましょう。

 大ざっぱに言えば、下高井戸と世田谷は以下のように全く異質な特徴を持ちます。

  • 下高井戸→少なくとも昭和40年代までに街のあるべき姿を構想し、実現し、確定させている
  • 世田谷→あるべき姿の構想はあると思われるが、まだそれは実現途上である

 より具体的には以下のような差があると感じられます。

  • 下高井戸→一貫したポリシーにより短期間で全体を完了した
  • 世田谷→時と場に応じてやり方を変えつつ、時間を掛けて進行している

 これらは、道路の扱いにも見られると思いますが、特に水路/暗渠の扱いに顕著に見られます。

 たとえば、下高井戸の水路跡は、コンクリート板暗渠→歩行者専用の舗装路(→一般の道路)という2つ(3つ)の段階があると思われ、基本的に左から右に向けて進行するものと思われます。

 これに対して世田谷の水路跡には、通行量が多いにも関わらず舗装せずコンクリート板暗渠の状態を続けるものや、アスファルトで舗装していながら柵を設けて一般通行者が入ることを拒んでいる事例など、様々なバリエーションが見られます(以下の写真が一例)。

舗装されているが入れない例

 これは、一貫したシンプルなポリシーの不在を意味しますが、それゆえに変化に富んでいて見て面白いともいえます。

 鉄道にたとえると、井の頭線と小田急の違いと言えます。井の頭線は1000系と3000系という2つの系列の車両のみをいずれも5両編成で運転しています。非常にシンプルです。それに対して、小田急は多種多様な系列の車両を様々なスタイルで運転しています。変化に富んでいて見ていて面白みがあります。

 さて話を戻しましょう。

 つまり、下高井戸と世田谷、両者は全く異質です。

 しかし、異質であることは結論ではありません。

 最大の問題はその先にあります。

区別されない両者 §

 ここで、最初の「松沢小学校に通うと思っていた幼稚園児の私」という話題に戻りましょう。そうです。この話題は、最後の結論に対する伏線として周到に用意され、書かれた話題だったのです。

 下高井戸駅を中心にした「下高井戸文化圏、経済圏」を見たとき、ここを利用する者は下高井戸と世田谷をほとんど区別していないし、区別するのは非常に難しいと言えます。たとえば、世田谷にある世田谷区赤堤郵便局斜め向かいの東武ストア下高井戸店の所在地が下高井戸だということを、意識する人、意識できる人がどれぐらいいるでしょいう? 更に、西友ストア下高井戸店は、下高井戸の名を冠しているにも関わらず世田谷区松原にあることを意識する人、意識できる人がどれぐらいいるでしょう?

 このような曖昧な境界はそのまま西に向かっても成立します。たとえば、桜上水駅付近で、下高井戸と世田谷区桜上水の境界を正しく言える人がどれぐらいいるでしょうか? 面倒だから線路の向こうにはあまり行かない、という人は珍しくありませんが、線路をまたいでいなくても、下高井戸から世田谷区桜上水に足を踏み入れている事例は珍しくもありません。

 ちなみに、Google Mapsに入っている境界線らしい線もアップにするとかなりずれている感があります。そういう意味でも境界は分かりにくい感があります。

総まとめ・異質なのに区別されない!? §

 つまり、ここで決定的なトラブルの火種が生じます。

 全く異質な地域であるにも関わらず、境界線が明確に意識されません。その結果として、異質さを意識しない者達が容易に越境し、そこで非常識な行動(彼にとっての常識的な行動)を取ってしまうわけです。

 異質であることが問題なのではなく、異質であることに気付きにくいことが問題となるわけです。

 これを総まとめとして、この話はここで終わります。

 (いや、これは越境して迷惑を掛けた僕は悪くないという意味ではないですよ。その点は謝ります。ごめんなさい)

発展課題 §

 地域間の特に水路に関する扱いの差異を比較検討する研究があっても良いと思います。ここで取り上げたものの他、杉並区と中野区にも、なにやら異質さがあるような印象もあります。今のところ、私は徒歩圏内から出る気はないので扱いませんが(徒歩圏内だけでも残った課題は多いよ!)、何かやってみたいが何をして良いか分からない人のためにメモってきます。

Facebook

下高井戸周辺史雑記

キーワード【 川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記
【下高井戸周辺史雑記】の次のコンテンツ
2008年
08月
17日
下高井戸と世田谷・異質なる暗渠文化 補足 『それでも私は越境する』
3days 0 count
total 3005 count
【下高井戸周辺史雑記】の前のコンテンツ
2008年
08月
15日
下高井戸と世田谷・異質なる暗渠文化 第3回 『消失する過去』
3days 0 count
total 4525 count


君はいくつ知っているか・京王と帝都の歴史とトリビア100+
Amazon.co.jp


ハイキングの歴史【改訂版】: 登山、行軍、そして探勝
Amazon.co.jp


京王帝国の興亡: 激動の多摩丘陵百年史
Amazon.co.jp


プールの歴史: 井の頭の天然池ブール・多摩川遊泳場・そして金子の婦人専用プール
Amazon.co.jp


多摩・八王子・拡張武蔵野(エクステンシノ): 国木田独歩没後111周年企画
Amazon.co.jp


カルピス飲んで朝ご飯・昭和10年8月井の頭公園のカルピス朝飯会
Amazon.co.jp


謎に包まれた琵琶滝駅・高尾山ケーブルカーの中間駅は本当にあったのか?
Amazon.co.jp


高尾山駅ミステリー・謎に包まれたもう1つの【高尾駅】は実在したか?
Amazon.co.jp


野球は巨人・キャラメルは紅梅・謎は杉並大工場の所在地
Amazon.co.jp


玉電ミステリー・瀬田停留所が2つある!?
Amazon.co.jp


歴史ノンフィクション・最も短い分水のミステリー 玉川上水下高井戸分水 (PDミニブックシリーズ)
Amazon.co.jp


河川・水路跡の探し方 ~徒歩圏内で探し出すあなたの街の歴史の神秘~
Amazon.co.jp

このコンテンツを書いた川俣 晶へメッセージを送る

[メッセージ送信フォームを利用する]

メッセージ送信フォームを利用することで、川俣 晶に対してメッセージを送ることができます。

この機能は、100%確実に川俣 晶へメッセージを伝達するものではなく、また、確実に川俣 晶よりの返事を得られるものではないことにご注意ください。

このコンテンツへトラックバックするためのURL

http://mag.autumn.org/tb.aspx/20080816213353
サイトの表紙【下高井戸周辺史雑記】の表紙【下高井戸周辺史雑記】のコンテンツ全リスト 【下高井戸周辺史雑記】の入手全リスト 【下高井戸周辺史雑記】のRSS1.0形式の情報このサイトの全キーワードリスト 印刷用ページ

管理者: 川俣 晶連絡先

Powered by MagSite2 Version 0.36 (Alpha-Test) Copyright (c) 2004-2021 Pie Dey.Co.,Ltd.