27巻で特に素晴らしいのが人間核兵器としてのラカンです。
実は、このシーンにおいて「人間核兵器」という言葉の意味は途中で変化しています。ラカンが部屋に入った時点で、「闘技場の障壁すら破壊する非現実的な破壊力を持った存在」という意味で使われています。しかし、途中から「男性のナニ」という意味に変質しています。
そして、ラカンには「恥部を誇示する変態」としての性癖はありません。しかし、ここではあたかもそのような変態であるかのように振る舞っています。
それはなぜか?
ここには少なくとも2つの「意図」があると考えられます。
1つは、人間離れした強さを発揮したラカンに対する一般人達の恐怖の感情を解きほぐすこと。ラカンは、圧倒的な力を持つ怪物に対する恐怖を、自ら変態を演じることで、変態に犯される恐怖に差し替えます。そして、千雨の蹴りで成敗されることで、「誰も倒せない怪物」から「女の敵として成敗可能なおっさん」へと、その場の立場を入れ替えています。(そして、最後に実際は恥部を露出していないことを示して、安全で誠意ある人物としての印象を残します)
もう1つは、バトルで高揚した読者の感情のクールダウンです。このシーンは、圧倒的な魔力と暴力で相手を傷つける展開は完全に終わったことで、読者の意識も切り替えさせています。
女性の敵という手法 §
ここでラカンが使った手法は、「女性の敵として成敗される」という予定調和を前提として「女性の敵」として振る舞う、という凝ったやり方です。
つまり、「女性の敵」としての振る舞いは、女性に敵対する行為ではなく、自らを女性の下位に位置づけるための間接的な手法です。
しかし、それは簡単に実現するものではありません。
まず、女性が持つ特権的な権威に対して敵対しなければ、無条件の成敗を発動する根拠が生じません。つまり、「変態」として女性の「貞操」を脅かさねばなりません。
もう1つ、確実かつ的確に「成敗」を行ってくれる相手が存在していなければなりません。その点で、千雨は的確にそれを行ったわけですが、その的確さについてラカンは千雨、ないし彼女らを信頼していたことになります。
ネギとラカンは対等ではない §
つまり、ラカンはずっと気配りのできる大人であり、その点でネギとラカンはまだまだ対等ではないと言えます。
そしてネギと愉快な仲間ご一行で、ラカンの領域に僅かでも片足を突っ込んでいるのは千雨だけ……とも言えます。(実際、ラカンの昔話が全てを語っていないと突っ込めたのは千雨だけだし)