「どこかで、小林副監督が言ってた。西崎さんがやりたい復活編はリ・イマジニングじゃないと分かったって」
「リ・イマジニングはギャラクティカのリメイク版だね」
「でもさ。実は実写版の方が、 リ・イマジニングだったんだよ」
「どういうこと?」
「以下のような特徴が一致するのだ」
- 同じ話を繰り返す
- 設定変更が多いが旧設定もよく拾っている (バイパーがやはり出てくるなど)
- スケールが小さく渋いドラマになる
- 人間ドラマとしての側面はむしろ拡大
- 敵の未知さも拡大している
- 性転換 (女のスターバックだぜ、信じられるか?)
「じゃあ復活編は?」
「H-TNGだな」
「なにそれ?」
「Half The Next Generation」
「半分だけ次世代ってことだね」
「旧世代と次世代のハイブリッドだ」
「相変わらずお馴染みの顔も出てくるが、半数以上はもう新人ってことだね」
なんだけどさ §
「実はここまでの原稿は小学館文庫の『SPACE BATTLESHIP ヤマト』を読む前に書いたものなんだ」
「うん」
「でもさ。小学館文庫版の感想に思わず逆を書いてる」
「ええっ?」
「復活編がギャラクティカで実写版がTNGを意識してるって」
「言ってることが逆じゃないか」
「しょうがないので、もう1歩踏み込むぞ」
「ええっ? まだ終わらないの?」
「そうだ。終わったと思っても都市帝国は出てくるのだ。終わったと思っても超巨大戦艦は出てくるのだ」
「しょうがないな。じゃあ、語ってよ」
「ギャラクティカにも新旧がある」
「そうだね」
「これを明確にしてもう1回話すぞ」
「うん」
「旧ギャラクティカはピカピカロボットのサイロンと戦う脳天気なスペオペだ」
「うん」
「これに対して人間ドラマ的な奥行きは実は、SF小説などを含めて多方面で出てきた要求だ。いつからそういう流れがあるのかは分からないが、1980年代にはもうあった。ルーツは1960年代まで遡るかもしれない」
「そうなの?」
「うん。だから、TOSに対してTNGはそういう方面の奥行きが深くなってくる」
「それで?」
「だから、TOSと旧ギャラクティカは古い世代の作品だが、TNGはより新しい」
「新しいのはTNGじゃなくて、TNGがより新しい潮流に乗ってるということだね?」
「そうだ。そこで、新ギャラクティカつまりリ・イマジニングが出てくるのだが、これも当然新しい潮流に乗ってる。人間ドラマを深め、結果として肥大化しているのはそういうことだ」
「肥大化も?」
「そうだ。肥大化も特徴の1つだ。TNGなんてTOSとは比較にならない話数だぞ。それでも飽きたらずスピンアウトしてDS9まで出て来るぐらいだ。他にSF小説などでも分厚くなる傾向がある」
「な、なるほど」
「だからさ。実はTNGとリ・イマジニングはつながってるんだ。だから、実写版ヤマトをTNG的というのと、リ・イマジニング的というのは実はあまり矛盾していない」
「なるほど」
「一方で、復活編がギャラクティカ的であるのも間違っていない。移民船団を引き連れて宇宙を飛んでいくモチーフそのものが似ているからね」
「なかなかむずかしいね」
「そうだ、難しいのだ」
オマケ §
「すると、実は実写版がああいう内容になるのが分かる」
「というと?」
「戦闘よりも人間ドラマということだ。敵キャラが一切出てこないで整理されているのは、人間ドラマを深めようと思うと必然なんだ」
「あれ、人間ドラマを深めると肥大化するんだよね?」
「でも、映画として上映できる時間は限られているから、肥大化はできない。ならば何を切る? 実写版ヤマトでは敵をキャラクターとして描写する展開の全てを切り落としたのだ」
「ええっ?」
「島次郎も言葉を奪われる。喋ると時間を食うからだ」
「そんな……」
「『ガミラス星ならびに偉大なる地球に栄光あれ!』という台詞もなく第3艦橋は吹っ飛ぶ。そこで描写されるのはもはやドメルの自爆ではなく安藤という第3艦橋勤務の新キャラの犠牲だ」
「なるほど」
「でもさ。1つ手応えを感じたことがある」
「何?」
「実写版ヤマトの続編の映画は可能性としてあり得る」
「ええっ?」
「実は以前から考えていたのだが、肥大化が必須の特徴となる文化の上に乗っているのだと気付いて、更に後押しされた。実写版ヤマトの続編という可能性だ」
「でも、ヤマトで古代はデスラーごと自爆したんでしょ?」
「残骸を再生するのはヤマトの定番だ。しかも、古代が実は生きていてもいいし、息子が後を継いでもいい。実は生きている古代を息子が探しに行く話でもいいぞ」
「行方不明の父を捜すって、まるでトロン・レガシー」
「古代の遺体が彗星帝国に拾われて奇跡の復活とか」
「感謝の極み、って駆逐艦借りて復活したデスラーにデスラー戦法で挑むのかよ」
「仮面の父が出てきて、私がお前の父だと言うとか」
「それはどこの彗星帝国の逆襲ですか」
「いやいや。彗星帝国の軌跡を辿ってアンドロメダ星雲まで行くんだが、そこが息子の人生の終着駅ってことだ」
「アンドロメダ終着駅……。確かに仮面のおっさんが父だ」
「そうか。モチーフは永遠にだ。さらばのネタはもう使ってしまったからね。だから内容はこうなる」
「どうなるの?」
「アルフォンの魔手から脱してパルチザンとして戦っている森雪のところにメッセージが届くんだよ」
「なんて?」
「『鉄郎、スリーナインに乗りなさい……』」
「誰だよ鉄郎って」
「息子の名前だよ。で最初は顔が不明の不気味な車掌を父ではないかと疑うんだ」
「でも違うんだよね」
「あっと驚くどんでん返し。本当の父は女王プロメススムで身体が惑星大アンドロメダだったんだ」
「もういいよ。アンドロメダマ号でアンドロメダ焼きを食べながらアンドロメロスに変身してアンドロー梅田と惑星大アンドロメダまで行ってくれ」
オマケ2 §
「あ、でももう1つ気付いた」
「何を?」
「映画とは往復運動である、という主張を是とすると実写版ヤマトは綺麗に往復しているんだ」
「古代が最初にいる地球で始まり、地球で終わるってことだね」
「デスラーとの最終決戦は地球近傍で行われるんだ。ワープが必要無いぐらい近いみたいだ」
「それは確かに往復だね」
「TV第1シリーズと旧劇場版で古代は島と火星にいたから完全な往復という形にはならないが、古代が最初に地球にいればほぼ完全な往復になる」