「はたと気付いたのだが」
「なんですか?」
「クルト・ゲーデルとジャック・ラカンというのは実に意味深な取り合わせである」
「というと?」
「まずゲーデル。ゲーデルがどういう人かといえば、むかしあった『しあわせのかたち~水晶の滑鼠』のクレタの女を聞いてくれ」
「なんて歌ってるの?」
「ゲーデルが笑ってこう言うの♪」
「なんて言うの?」
「自分で買って聞いてくれ」
「君は持ってるの?」
「うん。もちろん」
「でも、少しは説明してくれよ」
「うん。ぶっちゃけ、いい加減かつ簡単に言うと形式システムの内側にあっては形式システムそのものの無矛盾性を証明できないってことだ」
「意味が良く分からないな」
「厳密なところはおいらもワカラン。ただ、科学は何でも説明できるという価値観に風穴を開けた感じらしいということは分かる」
「そうなの?」
「さあ」
「曖昧だな。じゃあ、ラカンは?」
「ラカンというのは、精神分析の人だね」
「そうか」
「でも自然科学をそのまま精神の問題に適用できるというような変なことも言ってる人らしいぞ。片足はトンデモ側にあるっぽい」
「本当に?」
「さあ」
「それも曖昧だな」
「この2つの名前を並べた時に見えてくるのは、科学的絶対の世界解釈に対する世界の亀裂だ」
「えっ?」
「つまりさ。ネギま!と言う作品は、この亀裂によって成立しているといえる。あり得ない魔法があるんだからさ」
「つまり、魔法が存在する根拠を、この2人の思想性が担保しているというわけだね」
「存在を、というか、存在の可能性を、という感じだろうね」
「そうか」
「その点で、豆腐小僧でオバケなんていないと言い切る京極夏彦とは別の思想世界に生きていると思うぞ」
「豆腐小僧って……」
「不思議な存在の実在を描くという意味では同じことだ」
「そうか」
「しかし、『ライフメーカーの掟』を前提に不思議な生き物の全てが虚構に過ぎないと思えば、根っこは同じかもしれない」
「その解釈信じていいの?」
「さあ」