「朝顔抄を閲覧してきた」
「国会図書館に行って来たのかい?」
「実はきちんと検索すると値段は高いが古書で容易に買える本だし、ほとんどの図書館では所蔵していないが高井戸図書館にはあることが分かったので、自転車を漕いで高井戸図書館に行って見てきた」
「なんて近いんだ」
東京朝顔園開設の経緯 §
「尾崎哲之助という人は、西宮の大正園、北海道、東京、小金井朝顔園ときて戦争でセレベスで農場を開発し、戦後は永福町で永福朝顔園を開設した人らしい」
「それがなぜ東京朝顔園につながるんだ?」
「資金源の北海道の事業が戦後の統制解除で上手くいかなくなり、永福朝顔園を継続する資金がなくなったようだ。そこで、地元の永福町駅長経由で京王帝都社長の三宮社長と会って直談判し、成立したものらしい」
「永福朝顔園は京王帝都とは関係ない施設だったのだね?」
「そうらしい」
「そこで、ただ単に地元だからという理由で京王帝都と話をつけたんだん?」
「そういう縁らしい」
東京朝顔園の実情 §
- 最盛期の夏場は、富士見ヶ丘の駅から見物客が絶えないぐらいだったらしい
- 新宿から東京朝顔園までバスも運行されたらしい
- 朝顔だけでなくサクラソウなども扱っていたらしい
- 高松宮殿下ご夫妻も来ているらしい
- 杉並区との境界に面した長方形の土地だったらしい
- 杉並区に面した側を表正面としたらしい
- 中央に2.5メートルの道を通したという
- あずまや、鉄骨のアーチ、来客用住宅二棟、三十二坪の平屋1つ(屋上は栽培場)があった
- 敷地は三千坪
東京朝顔園終了の経緯 §
- 東京朝顔園は連作による病害虫が発生していた
- 尾崎哲之助はもう引退しようかと考えていた
- 京王は東京菖蒲苑に隣接した土地を用意して、ここに引っ越すことを計画していた
- 東京朝顔園は東京菖蒲苑に隣接した土地に移転し、東京朝顔園と東京菖蒲苑を合併して京王百花苑と改称した
- その際、尾崎哲之助の関連所有物は一切京王の譲渡し、京王の嘱託となった。その立場で、京王百花苑に尽力した。その後2年で辞めている。
- 東京朝顔園相当部分は、旧東京菖蒲苑と道を隔てた箇所に存在した。両者は陸橋で結ばれていた。広さは千五百坪(東京朝顔園相当部分のみと思われる)である
- 烏山最後の年が昭和35年(1960年)である
- 昭和36年(1961)4月は多摩川に移ったばかりである
- 3月末があさがおの種蒔きなので慌ただしく引っ越したという記述があるので、引っ越しは1961年1~3月ぐらいの範囲。東京朝顔園の閉園はその前の時点。昭和35年を烏山最後の年と言い切っているので、昭和35年のうちに閉園したと思われる
「従ってWikiPediaに書かれた1956年6月 京王帝都電鉄(当時)京王多摩川駅前に、「東京菖蒲苑」として開園。1961年4月 「京王百花苑」に改称。という経緯は不完全で、本当は【東京朝顔園と合併の上、東京朝顔園相当部分を拡張して京王百花苑に改称】が適切と思われる」
「行き先は京王百花苑で確定できたわけだね」
「ただし、朝顔抄では東京菖蒲【園】という表記で一貫している」
東京朝顔園の位置の再評価 §
「いくつかのヒントが増えたので、再度東京朝顔園の場所を推定する」
「ポイントはなんだい?」
「杉並区との境界に面していたという記述だ。戦後なら現在と同じ境界線と考えて良いだろうと思う。とすれば、北烏山3丁目は候補から落ちる」
「なるほど」
「近くで以下の条件を満たす場所を今昔マップの1961-64の航空写真で探した」
- 杉並区に面している
- ほぼ長方形の土地
- 4つ程度の建物がある
- 三千坪ぐらい
- 1945-50の航空写真には存在しない
- 1974-78の航空写真には存在しない
「あった?」
「〒157-0061 東京都世田谷区北烏山1丁目58。ここではないか」
京王百花苑の東京朝顔園相当部分はどこか §
「場所を推定してみることにした」
「条件は?」
- 京王百花苑本体と隣接している
- 京王百花苑本体との間に道路がある
- 千五百坪くらい(それほど大きくない)
「それらしい場所はあった?」
「あった、現在〒182-0025 東京都調布市多摩川4丁目39 京王キッズプラッツ多摩川および駐車場になっている三角形の土地がそれではないか」
「そうだとすれば、東京朝顔園由来の京王百花苑の部分は現存しないことになるわけだね」
「まあ、連作は難しいようなので、数十年のスパンでの同じ種の生育は難しかったのだろう」
永福朝顔園の位置推定 §
「場所は明確にできないのだが、ヒントだけは拾い集めておく」
「永福町の町に面しているということで、ある程度絞り込めそうな気もするけど」
「そもそも、その当時の永福町の町がどこからどこまでかはっきりしない」
- 教会跡の広い家を種子会社の事務所にしていた
- その事務所の裏に三十余坪の空き地
- 事務所から少し離れた世田谷寄りの高台に二千坪余。朝顔用。これが永福町朝顔園となる
- やや不整形な長方形
- 中央に約2メートルの道
- 永福町の町に面した入口