2018年11月20日
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朝顔抄と京王五十年史で二説ある京王百花苑成立の謎

Written By: 川俣 晶連絡先

 京王百花苑成立の経緯が、朝顔抄と京王五十年史では食い違っていることに気付きました。(三十年史には記載なし)

  • 朝顔抄の記述【東京菖蒲園と東京朝顔園を合併のうえ、京王百花苑と改称。昭和35年が烏山最後の年であり、昭和36年4月には既に多摩川に移動している。移転早々の年は展示を見送ったという記述あり】
  • 京王五十年史の記述【昭和36年京王百花苑と改称し、その後昭和37年5月に東京朝顔園を移設】

 おそらく、京王五十年史の方が社史によくある誤記ではないかと思われます。

 東京朝顔園は昭和36年には既に移動済みであり、施設としては既に東京菖蒲園と一体になって京王百花苑になっていたものと思われます。しかし、公開に至る状態になっていなかったため、本格的な施設公開は翌昭和37年にずれ込んだのでしょう。その状況を後から資料で確認した結果として、【昭和37年に移設された】という誤解が発生したのではないでしょうか。

 朝顔抄は昭和46年。京王五十年史は平成10年らしいので、かなり時期に開きがあり、京王五十年史の時代では正確な情報が継承されていなかった可能性があります。三十年史に記述がないので、誤解は訂正されなかったという状況も想定できます。もっとも、三十年史も間違いがありますが……。

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