2005年03月07日
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赤松健とクリエイション論 第8回 「『舞-HiME』は成功者の条件を満たすか?」

Written By: 遠野秋彦連絡先

「舞-HiME」は成功者の条件を満たすか? §

 さあ、そろそろ本題に戻ろう。

 この文章は、なぜ舞-HiMEはネギま!を恐れるのか、という疑問に答えるために考えたことを書き記すために存在するのである。

 さて、ずば抜けた成功者の条件として2つを示したが、舞-HiMEはそれを満たすだろうか。より正確には、舞-HiMEの作者、すなわち原作/矢立肇の「中の人」は、はたしてこの条件を満たしているのだろうか。

 まず、彼が狭義のクリエイターであるか否かは、まだ実績が少なく、外部から判定できそうにないことを告白しておく。つまり、これは判定の条件に使えない。

 では、もう1つの条件、通俗性の肯定はどうだろうか。

 これについては、微妙な結論に辿り着く。

 トーノZERO名義で記された舞-HiMEの感想の中で明らかにされていることは、作品の二重性である。美少女が戦うという通俗性と、その裏に静かに横たわる高尚な作品性という、相反する2つの要素が作品を構成している。通俗性の高い多くの描写は、多くのファンを獲得することに貢献しているが、結末が接近するに従い、徐々に隠されていた高尚さが姿を見せつつある。派手な戦いよりも、2歩も3歩も登場人物の内面に踏み込んでいく描写が前面に出てきている。それは面白いことであるし、素晴らしいことであるし、本心から私が喜びながらそれを見ている。しかし、それは明らかに嫌なことも描くドラマであり、赤松健が「だから漫画の中ぐらいは絶対に嫌なことが起きなくてもいいんじゃないでしょうか」と述べている方向性とは異質である。

 もちろん、ネギま!にも、ラテン語で呪文を唱える描写など、高尚なムードは存在する。しかし、それらは全面的に肯定された通俗性を押しのけて存在感を主張することはない。一方、舞-HiMEは通俗性と高尚さの2本の柱によって立つ作品という感があり、時として通俗性が優越したり、また別の時には高尚さが優越することもあり、両者の存在感はどちらが優越しているとも言えない。

 (そして、高尚さが優越したとき、通俗性に引き寄せられた視聴者達が戸惑うようなムードを感じるのは気のせいだろうか? 根拠がないので、おそらくは気のせいだろうが)

舞-HiMEの評価を試みる §

 これらのことから、舞-HiMEの評価を試みることが可能になる。

 舞-HiMEは、通俗性の重要性を認識し、嬉々としてそれを作品に取り込んでいる。その点で、この作品の方向性に誤った部分はない。しかし、それと同時に、高尚な作品作りに対する願望もまた並列的に存在している。芸術であるよりも、通俗であることが正しい、という確信と断言の領域には到達していないように感じられる。

 繰り返すが、私は舞-HiMEが非常に好きである。しかし、その「好き」は、平均的視聴者の「好き」と同じではないかもしれない。私は、美術館で芸術を鑑賞するのも好きだが、そのような価値観の延長線上で舞-HiMEを好きと言える。しかし、多くの視聴者は芸術鑑賞など退屈で避けたいことなのかもしれない。

 このようなことから考えると、なぜ舞-HiMEはネギま!を恐れる必要があるか、という理由が見えてくる感がある。

 ネギま!が全面的に前提とし、舞-HiMEが為し得なかった通俗性の全面肯定。それは、ずば抜けた成功者の条件として位置づけられる。それがもたらす継続性は、優れた天才すら寄せ付けない力を発揮する可能性がある。その圧倒的な存在感は、単なる努力では打ち勝ち得ないと感じさせるだけのものがあるだろう。

 その感覚は、生々しい現場に立つ者であれば、おそらくは肌で感じられるのだろう。

目次 §

 注: 赤松健とクリエイション論には問題提起から結論に至る文脈、コンテキストがあります。つまり、それまでに行われた説明について読者は分かっているという前提で文章が組み立てられています。そのため、第1回から順を追って読まない場合、内容が理解できないか、場合によっては誤解を招く可能性があります。

表紙

赤松健とクリエイション論 第1回 「問題提起・なぜ舞-HiMEはネギま!を恐れるのか」

赤松健とクリエイション論 第2回 「第3の登場人物『宮崎駿』」

赤松健とクリエイション論 第3回 「重要な手がかりとなる赤松健インタビュー」

赤松健とクリエイション論 第4回 「組み合わせの創作法」

赤松健とクリエイション論 第5回 「新しいことにチャレンジする」

赤松健とクリエイション論 第6回 「つらいことが起こらないドラマ」

赤松健とクリエイション論 第7回 「ずば抜けた成功者の条件とは」

赤松健とクリエイション論 第8回 「『舞-HiME』は成功者の条件を満たすか?」

赤松健とクリエイション論 最終回 「将来について」

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