「というわけで、感想の続きだ」
「まだ続くのかい」
「知れば知るほど話が広がって面白いぞ」
宮川彬良の問題 §
「実はあとから気付いたのだが、宮崎親子の問題は、構造的に宮川親子の問題と似ている。つまり、宮川親子の問題から延長して解釈しようとしていたのかもしれない」
「それはどういう意味? というか、宮崎親子は宮崎駿と宮崎吾朗と分かるけど、宮川親子って誰?」
「宮川泰。ザ・ピーナッツの歌やヤマトの音楽で有名だった人だよ。息子は宮川彬良。マツケンサンバIIで有名な人だよ」
「それがどうしたの?」
「宮川彬良は若い頃に、白色彗星のパイプオルガンを弾く等で父親の仕事の場にいた。しかし結局さ、宮川彬良という人は大きなくくりでは音楽という同じ世界に行ったものの、微妙に違う方向を指向していたのだ。その結果が舞台音楽であり、マツケンサンバIIはそういう路線の歌だ。しかし、交響組曲宇宙戦艦ヤマトの復活プロジェクトを経てふっきれたようで、最終的に音楽タレント的な形でかつて父親がいた世界に足を踏み込む」
「それがどうしたの?」
「だから、構造的に同じなんだよ」
「宮崎吾朗は若い頃に、山荘での映画の議論を耳にする等で父親の場にいた。しかし結局さ、宮崎吾朗という人は大きなくくりではデザインという同じ世界に行ったものの、微妙に違う方向を指向していたのだ。その結果がランドスケープアーキテクトであり、三鷹市立アニメーション美術館館長はそういう路線の役職だ。しかし、ゲド戦記の監督を経てふっきれたようで、最終的にアニメ演出家的な形でかつて父親がいた世界に足を踏み込む」
「うわー、そう言われるとどことなく似てる」
「うん。そこだ」
「それにどういう意味があるの?」
「宮川彬良という人物はけしてダメではない。ただ単に交響組曲宇宙戦艦ヤマトを復活させただけではない。合唱隊がいないのに、ちゃんとオリジナル通りの合唱曲を聞かせてしまうほどの才能がある。単なる再現ではない。マツケンサンバIIのヒットにしても、彼にはそれだけの力があることを示す」
「それがどういう関係があるの?」
「であるなら、立場が似ている宮崎吾朗もまずは肯定的に捉えてみたいよ」
「みんなけなしてるよ」
「言いたい奴は言わせておけ。おいらは自分で見たものしか信じない」
「そこまで意固地になることはないじゃん」
「実際、世の中はそんな事例で満ちあふれているよ。みんなが良いというものより、みんなが馬鹿にして見てすらいなかったものに宝が眠っているような事件ばかりだ」
やけくそ問題 §
「コクリコ坂という映画、最初は絶句するほど暗い映画だったそうだ。でも、吹っ切れて今の形になったようだ。あと、1963年という年代設定も監督自身、分からなかったようだ」
「それってどういうこと?」
「うん。だからさ。この企画はまともにやったら実現できない企画だってことだよ」
「えっ?」
「1963年をよく知っている世代というのは、1963年の時点で二十歳以上の世代で、もうリタイア組だ。作り手も受け手も、大半がリアルな1963年を知らない。しかも、けして良い時代ではない。人が十把一絡げで売り買いされる時代だ」
「そんなに?」
「たとえば、集団就職なんていうのもあったしね」
「個人の選択の自由は無いの?」
「あるさ。ただし、経済的な裏付けがある範囲だけでな。しかも日本はまだまだ貧しかった」
「そうか」
「だからさ。理屈で考えて1963年の映画を作ろうと思ったら、暗い話になって当然なんだよ。ちょっと前まで無理矢理日本人が集められてLSTに乗せられて朝鮮半島での戦争に物資輸送させられるのだからね」
「おいおい。それは戦場に足を踏み入れるってことじゃないか」
「そうだよ。だからコクリコ坂でも、主人公の父親は機雷に船を接触させて沈んでしまうのだ」
「最前線じゃなくても死ぬ危険があるってことだね」
「そういう形で日本は戦争に関与したんだ。そういう世相が背景にあって、真面目に映画を作ろうと思ったら暗くなって当たり前だ」
「でも、映画は明るいじゃん」
「ポイントは2つある」
「それはなんだい?」
「1つは、建物の保存の話を軸に据えたことだ。この問題は、実は古くて新しい。同じような話が延々と繰り返される。だから、1963年であろうと現代であろうと話の趣旨は大差ない」
「現代的なテーマに結びつけて違和感が無いわけだね」
「そうだ」
「もう1つは?」
「1963年はまだ未来が未確定で、可能性を信じられる時代だってことだ。現在は悲惨でも、未来は未確定の時代だ」
「絶望はしないで済む時代ってことだね」
「そうだ。戻らぬ父のために信号旗を上げ続ける少女がいても、まだ説得力のある時代だってことだ。少し前には、死んだはずのあの人が生きてひょっこり、という事例が実際にあった時代なんだよ」
「戦死の通知を受け取っているのに、生きて戻って来た人がいるって話だね」
「だから、岸壁の母もあり得る話だったんだよ」
「そうか」
「結果として、父親は戻らなかったが、父親が面倒を見た少年がやってくる。そういうファンタジー的な展開がまだしもありえた時代なんだ」
「それってどういうことなんだい?」
「1963世界は、現代的なテーマ性に隣接したというファンタジー空間でしかないわけだ。緻密な考証でかなり上手く1963世界を描いているが、それでもあれは本物の1963年ではない。現代に隣接したファンタジー空間なんだ」
「ファンタジーか」
「だからさ。今時の観客にアピールするにはリアルな1963年ではダメなんだよ。現代に隣接するファンタジー空間を描かなければならない。そういう意味で、この映画は宮崎駿には作れなかったと思う。なまじ、その時代の空気を知っているだけにね」
「じゃあ、この映画は息子が監督して正解だってこと?」
「誰が監督して正解とも思わないけど、向き不向きはおそらくかなりある」
「向き不向き?」
「だから、その時代をどういう視点で見るのかという視座の問題。おいらみたいに、かなり肯定的にその時代を捉えていたら良いのかも知れないが、現代的な視点で見れば問題だらけでけして明るい話にならない。下水すら十分に普及してない時代だ。街中の小川はみんな家庭の排水が流れ込んでどろどろ。蓋をされる途中だ。そういう世相を受け入れてなお、夢や希望を語れるかはかなり属人性の高い要求だろう」
「宮崎駿が暗い映画を作らないとも思えないよ」
「だからさ。宮崎駿が作ったらきっととりあえず負の側面は無かったことにして綺麗なノスタルジー映画になったと思うぞ。トトロみたいにね」
「トトロの昭和30年代はかなり嘘くさいってことだね」
「コクリコ坂のいいところは、そういう時代的な汚い部分を遠景に追いやらず、近景できちんと描いたことだと思う。下水とかどぶ川は別に出てこないけど。それにも関わらずみんな希望を持って生きていることを描く映画だから、希望に説得力が出てくる」
「ガスコンロはあってもいちいちマッチで火を付けたりするところだね」
「これが薪なら、綺麗なノスタルジーの世界だ。魔女の宅急便だ」
「綺麗じゃ無かったり、暗かったりする要素があるからいいわけだね」
「十分に貧しい時代だからね。乏しい力をみんなで結集することで物事がやっと動くわけで、そこに希望があるんだ」
「まさに、2011年の今となってはファンタジーだね」
「ははは。残念ながらそうだな。自分は強い、自分は優秀だ、と思い込んでそれを理解しない周囲が悪いと思い込んで引きこもってネットしてゲームしてマスかいて寝るだけの身体だけ大人の子供ばかりだ」
「わははは」
「結局、この閉塞感が漂う時代に出口はあるのだ。汚い仕事を率先してみんながやることだな。自発的にガリを切るとか、集団で掃除に行くとか、映画の中にはそういう展開がきっちりあるよ」
「でもさ。問題はあれじゃない?」
「なんだい?」
「コピー機当たり前の今時の若者はガリを切るって言っても意味が分からないだろ?」
「大丈夫。今でもお寿司屋さんでやってる作業だよ」
「なんか違うぞ」
押井守問題 §
「結局彼は、宮崎駿や押井守がああでもないこうでもないと議論している現場にいたんだ。そういう話を小耳に挟みながら成長していったのだ」
「そうか」
「だからさ。むしろ押井守になぞらえて解釈するのもあながち間違いじゃ無いだろう」
「どういう意味で?」
「押井守も本当に理解されていない。彼の映画はけして難しくも無いし暗くもない。が、そういう解釈をしてしまう人もけっこう多い。まあ宮崎駿も理解されていないという意味では同じだがそれはさておき」
「つまり何が言いたいの?」
「世間の色眼鏡を踏みつぶしてじっと観察したら、違うものが見えるのかも知れないよ。そういうタイプかもしれないよ。暗くてダメで親の七光りの甘ちゃん2世というイメージ通りではないかもしれないよ」
「その方が君は楽しいわけだね?」
「お宝探しはわが手にあるからな。わっはっは」